<日本オープン 最終日◇13日◇東京ゴルフ倶楽部(埼玉県)◇7251ヤード・パー70>
2018年、19年の賞金王・今平周吾がプロとして節目の“10勝目”を地元開催のメジャーで挙げた。開口一番に「いやあ、うれしいですね」と頬が緩む。埼玉県出身プロが本大会を制したのは史上初になるが、「へえーって感じですね(笑)」と“今平節”も見せて報道陣の笑いを誘った。
17年のツアー初Vから7季連続で毎年勝利を重ねた今平だが、日本タイトルを獲得したのは自身初となる。「日本オープンというのは、優勝したい大会でもあった。今年はあまり成績が良くなかったので、それで優勝できて本当にうれしい」と、ただただ喜びが溢れる。
最終18番では、キャリア10勝目にふさわしいエンディングとなった。トップと1打差で迎えた最終日は、前半から木下稜介、同組の稲森佑貴とトップ争いが繰り広げられた。後半に入り、今平が14番パー4でおよそ8メートルのバーディットを沈めると、後続組の木下が同ホールから連続ボギーを喫した。今平も16番でスコアを一つ落とすも単独トップに立つ。しかし、17番で木下がチップインバーディを決め、ともに首位に並んで最終18番を迎えた。
今平は230ヤードの位置から3番ユーティリティでピン前およそ20メートルのところにグリーンオン。「木下さんとスコアが並んでいたのは分かっていたので、とりあえず最後はパーを獲ってプレーオフに持って行ければいいなと思って」。チャンスとは言えがたいロングパットに、2パットのパーを狙い構えた。するとボールはカップに向かって転がっていく。カップ前およそ1メートルのときに入ることを確信した今平は右手のコブシを上げ、入った瞬間に「シャー!」と大きく口を開けて吠えた。常に平常心、冷静なプレースタイルをする今平はこれまでには「ないですね(笑)」というほどの声量だったという。
「まさか入るとは思っていいなかった。すごい、なんだろう、(入った瞬間)頭が真っ白ではないですが、すごく変なシーンでした」。ボールを沈めたときはこれまでのプロ人生にない感覚だったと振り返る。木下がパーで終え、優勝が決まるとキャディと力強く手を握り合った。
この日、会場に足を運んだギャラリー数は6382人。大勢の人たちが、その珍奇なシーンに大歓声を送った。今平はギャラリースタンドに向けてボールを投げる。「皆さんよくボールを投げたりするじゃないですか。ちょっと投げてきました(笑)」と、またまた報道陣を笑いで包んだ。
勝利の要因は「距離が残ってもフェアウェイキープに徹したこと」と長さおよそ15~20センチにもなるラフへ入れないマネジメントの徹底だった。4日間でドライバーを使用したのは「6回ぐらい」と、3番ユーティリティやアイアンを選択。最長524ヤードを含め400ヤード超えのパー4は12ホールのうち9つとなるべく飛ばしたいところでもあるが、「落ちどころが狭いので、(ドライバーを)打ちたい気にもならなかった」というほど狭いフェアウェイに最後まで“欲”を出すことなく戦い抜いた。
今年はこれまで「思うようなゴルフができていなかった」と、8月の「横浜ミナト Championship 〜Fujiki Centennial〜」からは3試合連続で予選落ちを喫するなど苦しい状況もあった。32歳の今平は20代の頃に比べて体の変化を感じていた。「自分のなかの感覚で、動きづらいときもあったりしたのが前半戦。少し体重が増えるとアプローチやショットが乱れたり」と技術面に影響が出ていたことを明かす。
「体のサイズのなかで、どれだけ自分のポテンシャルを出せるか」とトレーニング、食事の内容を見直した。すると、5試合前の「ANAオープン」から3試合はトップ10入り。自身のパフォーマンスを最大限に発揮できる体調の管理は、今回の要因のひとつとなった。
今大会での優勝で賞金ランキングは13位から4位に浮上。2週後に日本で開催される米国男子ツアー「ZOZOチャンピオンシップ」の出場資格(日本オープン終了時点の賞金ランキング上位8名)を獲得。「ZOZOに出るためにも今週は頑張りたいと思っていた。何度か回っているコースなので、この調子をZOZOに持っていけたら」と意気込む。
「アメリカで戦うことは最大の目標」と海外志向を持つからこそ、この大会に出場できることは大きい。さらに今回の優勝資格で来年の海外メジャー「全英オープン」にも出場ができる。“最大の目標”へ大きなチャンスを掴むことができた。(文・高木彩音)