13人から始まったLPGAツアーが女子ゴルフの原点
今から70年前の1950年、13人の女性たちが米女子LPGAツアーを創設、初の女子プロスポーツ組織が誕生した。当時はまだまだ女性がスポーツ界で活躍することなど想定もされていなかった時代だったがその中で女子ゴルフの華やかさは世界を魅了。現在も女子スポーツをけん引しているLPGAツアー、実は日本にとってもスポーツ史上大きな関わりを持っている。今でこそ多くのアジア勢がゴルフ、野球、バスケットボールとあらゆるスポーツで活躍する時代だが、そのパイオニアはまさにこの女子ゴルフと言えるのだ。
第一期女子プロゴルファーの樋口久子が全米女子プロを制覇
だが日本勢がメジャー2勝目を挙げるまで42年の歳月を費やすことになる。
岡本綾子の時代
期待を一身に背負ったのは岡本綾子だった。「アメリカに行きたい」と願い、81年に2度目の予選会で出場権を獲得し日本勢として初のツアーメンバーとして本格参戦を始めると日本のゴルフファンはみな、夜中や早朝に衛生放送される“世界のアヤコ”のプレーに熱中、新しい時代を創りだした。
87年はツアー4勝を挙げて賞金46万6000ドル(現在のレートで約5000万円)を獲得し賞金女王の快挙を達成、海外勢初の“プレーヤー・オブ・ザ・イヤー”を受賞しツアーの仲間たちから大いに祝福された姿は深く記憶に刻まれている。
LPGAツアー通算17勝という大記録を残した岡本だが、一方でメジャーは2位が6回。最も記憶に残るのは87年の全米女子オープンだ。ニュージャージー州のプレインフィールドCCでの大会は悪天候で火曜日に行われた18ホールのプレーオフでローラ・デービス(英国)とジョアン・カーナー(米国)の三つ巴の戦いとなったが、デービスに敗れメジャー勝利は届かなかった。
続く日本勢の挑戦、世界一になった宮里藍へ
ついに栄冠をつかんだのは09年、フランスのエビアンで開催されるエビアンマスターズ(当時)。勝利のパットを沈めてガッツポーズを握りしめた姿にゴルフファンの多くが涙した。
苦悩の日々を送った分、成長も大きかった。10年には開幕戦から2週連続優勝を含む年間5勝、同年6月には世界ランキング1位と世界の頂点へ上り詰めた。だがそれでもメジャー制覇には届かないまま17年に現役引退。輝かしい記録の中でも「メジャーを獲れなかったことは残念だった」と悔しがっている。
先人たちの思いは畑岡奈紗、そして渋野日向子へ
その19年8月、全英AIG女子オープンで鮮やかにメジャー勝利を飾ったのは初の海外出場、初のメジャーと初づくしだった渋野日向子だった。“スマイリング・シンデレラ”と屈託のない笑顔で世界中のファンを魅了、樋口久子以来日本勢として実に42年ぶりというメジャー制覇を達成したのは記憶に新しい。そこからはもう日本中が“シブコ”フィーバー、今やアメリカからも米ツアー参戦の日が待たれる日々だ。そんな畑岡、渋野たち現役世代には脈々と先人たちの思いは受け継がれている。