<ノジマチャンピオンカップ箱根 シニアプロゴルフトーナメント 最終日◇17日◇箱根カントリー倶楽部(神奈川県)◇7060ヤード・パー71>
首位と2打差の5位タイから出た髙橋竜彦が、5バーディ、ボギーなしの「66」で回り、トータル8アンダーで逆転優勝。シニア初優勝は、2006年のレギュラーツアー「日本ゴルフツアー選手権」以来、20年ぶりの美酒となった。
1打リードで迎えた18番パー4。グリーン左サイドの狭いエリアにピンが切られていた。残り140ヤード。「右に逃げると3パットもある。今週自信を持って打てていた」と9番アイアンを握ると、驚異の集中力を発揮して狭いエリアのピン左1.5メートルに乗せた。「最後は緩みました」と笑って話したが、カップの右隅からボールを沈めて優勝が決まった。
「優勝すると思っていなかったので、正直びっくりです」と無欲の勝利となった。「いろいろあったどころじゃないですよね。本当に長かった」。20年ぶりVの余韻をかみしめた。
レギュラーツアー時代は05年の「アイフルカップ」でツアー初優勝を遂げ、翌年に2勝目と順風満帆な選手生活を送っているかに思えた。しかし、08年頃からドライバーのイップスに襲われる。「手が震えてティアップできないほど。本当に苦労しました」と辛い時代を思い出す。
07年は賞金シード権を確保したが、08年は同81位。賞金シードは手放したが、国内メジャー優勝による5年シードを保持していた。しかし、イップスは改善されず、09年は20試合に出場して予選通過はわずか3試合。10年にいたっては20試合すべて予選落ちで、“獲得賞金ゼロ”というどん底の1年も経験した。
症状が出始めたころ、永久シードの倉本昌弘が声をかけてくれた。「倉本さんも昔ドライバーで悩んだ時期があって、一緒にラウンドしてくれたり、いろいろアドバイスをしてくれました。先週も初日が終わったあと食事に連れて行ってくれて、本当に感謝しています」。グリーンサイドにいた倉本の姿を見て涙腺が緩んだが、「泣くなよ」と声をかけられ、「もうちょっとやさしい言葉だったら泣いていました」とうれし泣きは温存した。
長期シードが切れた12年以降は下部ツアーを主戦場としていたが、倉本の支えもあり50歳が近づくと「シニアでもう一度」と決意を固める。上田桃子らを指導してきた大学の後輩・辻村明志コーチとスイングを見直した。
それでもシニア1年目は思うような結果を残せなかった。「これまで何度もやめようと思っていましたが、おととしは本当に辞めようと考えました。これだけ悩んでいても、前に進まないし…」。ドライバーへの不安はピーク時が100だとしたら、今でも「半分は不安」と50は残っていると話したが、一昨年は80ほどまでの重めの症状が出ていた。
レギュラーツアー2勝以上の資格でフル参戦した昨年は、中盤戦でトップ10入りを果たすなど手応えをつかんだ。オフには一念発起し、肉体面に加えてメンタル面の強化にも着手。心技体すべてを見直して臨んだ今年3月の最終予選会は21位だった。それでも「今年はやれる」という手応えを胸に先週の開幕戦へ。そして迎えた2戦目で、シニアツアー初優勝をつかんだ。
髙橋の優勝が決まると、多くのプロ仲間が祝福に駆けつけた。倉本をはじめ、支えてくれた仲間や関係者への感謝を口にしつつ、「葉月に優勝を見せられたのが一番よかった」とうれしそうに話した。
学生時代から親交のあった女子プロゴルファー・牛渡葉月と2005年に結婚。レギュラーツアー時代を含めて10年以上、キャディを務めるなどシニア界のおしどり夫婦として、ロープ内外でサポートをしている。
「優勝なんか見せてあげられないと思っていたんですけど…」。この日は、夫のプレーを見守っていた葉月夫人が前半の途中で声をかけた。「たっちゃん、きょうはたぶん優勝できるよ。あと2つ、3つ伸ばせば勝てる」。背中を押すようなひと言が、勝負どころでの力になった。
「そんなにうまくいくわけないじゃん」と返したが、11番は6メートル、15番は5メートルのクラッチパットを沈めて単独首位に立った。「終盤まで優勝を意識してドキドキできるのはうれしいね、って言いながらやっていました」。集中力は最後まで続き、葉月夫人の思惑通りゲームが進んだ。
「僕のクセも全部知っている。何気なく(ゴルフ以外の)話を振ってくるんです。なんでこんな話をするんだろうと思っていたけど、意識をそらしてくれていたんだと思います」。高橋はそう振り返る。誰よりも近くで支えてきたからこそのサポートだった。
表彰式では、二人で大事そうに優勝カップを掲げる姿が印象的だった。「これで初めて(日本)シニアオープンに出られます。それが楽しみです」。おしどり夫婦は新たな目標へと歩みを進める。(文・小高拓)
