先週の「KKT杯バンテリンレディス」の会場となっている熊本空港カントリークラブのクラブハウスから18番グリーンに向かう途中に一本の木がある。大会中はギャラリープラザとなる駐車場にもつながる道の左手だ。その木の周りには大会恒例の歴代優勝者たちの記念植樹の木もある。
件(くだん)の木のレリーフには、熊本地震からの地域の復興を祈念して、日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)から寄贈、植樹された祈念樹だとある。植樹は2017年4月13日。地震の翌年に開かれた大会のプロアマ大会の日だった。
278人の命が奪われた、あの地震から今年で10年が経った。16年4月14日午後9時26分と16日午前1時25分の2度にわたる最大震度7の大きな揺れ。15日に開幕するはずだった大会は中止になった。そのときの108人の出場者リストで、今年の大会に出場した選手は25人。約4分の3が入れ替わった。まさに十年一昔だ。
月日の流れは記憶を風化させる。今年の4月16日はプロアマ大会の開催日だった。あの日はほとんどの選手、大会関係者が震度7の大きな揺れを経験した。10年という節目の年。被災者となったトーナメントとして、何らかのメッセージが発信されると思っていたが、何もなかった。大会期間中も…。
以前は大会初日の第1組のスタート前に黙とうを捧げていた。いつからか、それもなくなった。大会が中止となった16年は6月までの10試合と下部のステップ・アップ・ツアーで選手たちが募金活動を行い、集まった約910万円は熊本空港CCに寄贈された。12月には選手の獲得賞金の1%に当たる約3400万円が寄付された。地震から1年の17年の大会コンセプトは「みんなDE熊本! みんなのクマモト!」だった。JLPGAの公式ページには「選手・関係者の熊本復興の思いが詰まったメッセージ」とある。
今年の大会は高橋彩華が優勝した。高橋は当時、高校3年生。1打差2位だった鈴木愛は、前述した25人のうちの1人だった。「もう10年たったんですね。10年も経つと、いろんなことを忘れていく。今年は初心に帰る気持ちでやっていこうと思っていました」
10年前の14日は食事を終えて、会場コースにほど近いホテルに戻るために車に乗った直後に前震に襲われたという。「こんなに車が揺れるなんて、誰かがいたずらで車を揺すっているのかと本気で思った。本当にびっくりしました」。16日の本震も経験した。
双子の母となった熊本出身の有村智恵は育休から復帰した昨年に続き、今年も地元大会に出た。10年前は嘉島町の実家で被災。近くの避難所に足を運んだときに声を掛けられた「大会を楽しみにしていたのに」という言葉は今も鮮明に覚えている。日常が日常でなくなっても、ゴルフを楽しみにしてくれる人たちがいる。「こんな大変なときなのに、ゴルフを見たいと思ってくださるんだ…と。いいプレーをして、楽しんでもらいたいです」。復帰後、2度目の予選通過を果たしての45位だった。
「熊本のために、ゴルフファンのために」―-。そういう思いは今も多くの選手が持っていると思う。大会関係者も、もちろん同じだろう。だからこそ、今年は大会としてメッセージを発してほしかった。いつもと変わらなかった大会は、つらい過去を思い出したくない人たちへの配慮なのかもしれない。だが、一方で16日には熊本市内で熊本県と県内の全市町村が初めて共催し、「熊本地震10年犠牲者合同追悼式」が行われていた。記憶の風化防止と防災への決意を新たにすることも開催することの大きな目的だったという。
私は1995年の阪神大震災を神戸市灘区の自宅で被災した。2011年の東日本大震災のときは「ヨコハマタイヤPRGRレディス」の会場だった高知・土佐カントリークラブにいた。地震発生時の3月11日は初日の競技を完了したが、津波警報の影響で午後8時近くまで多くの選手、ギャラリーがコースに足止めされた。2日目以降は中止となって競技は不成立となった。
自分なりに、いろいろなことを見てきた。多くの経験もしてきた。記憶が薄れることは、実体験として十分にわかる。だからこそ、10年という節目の年の今年はどういう形でもいいから、メッセージを発してほしかった。
建前でもいい。きれいごとでも構わない。 後世に伝えていくことは経験した者の責任だと思っている。普段と変わらなかった一週間が残念でならない。気をつけて見ていないと目に留まることもない祈念樹は生長し、少し大きくなっていた。(文・臼杵孝志)