先週行われた日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の最終プロテストでは、新たに26人のルーキーが誕生した。うれし泣き、悔し泣き、さまざまな思いがこもった涙が入り混じる会場で印象に残った、合格までのストーリーを紹介する。
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同志社大学入学後、小学生以来となるゴルフを再開した。「大学入りたてのころは『100』とか打ってました」。25歳でプロテスト合格を果たした中地萌(なかじ・もえ)は、少し回り道をしながら、かつて夢見ていた舞台にたどり着いた。
「中学に上がるタイミングで、親に部活動にも入るように言われて、バスケットボール部に入ったんです。そうしたらゴルフよりも、そっちが楽しくなってしまって。それで一度、ゴルフをやめました」
8歳でゴルフを開始。小学生のころはプロを目指し、競技会にも参加していた。全国大会で勝みなみとプレーした経験もあり、吉本ひかるとは関西の試合で同じフィールドに立ったこともある。だが、中学・高校とバスケに熱中する間、クラブは置きっぱなしに。「相手(勝や吉本)は覚えてないと思います。私が一方的に知っているだけ。いつも試合で名前を見て、すごいなって思っていました」。その存在が遠くなっても不思議ではない状況だった。
だが、大学入学後、「体育会の部活をやりたい」と行き先を探していたなかで目に飛び込んできたのが“ゴルフ部”だった。「高校はそんなに強い学校でもないし、結果も出なかったけど、バスケは6年間やって燃え尽きました。それで『もう一回、ゴルフを始めよう』と思ったんです」。入学した経緯も指定校推薦という一般生。最初はブランクにも悩んだが、「大学でも結果を求めてやっていたので、割とすぐに前の感覚が戻ってきました」と頭角を現すことに。卒業する頃には、ベストスコア「68」を記録するまでになっていた。
それでも、大学卒業後には“就職”という選択肢があったことも明かす。そんななかプロを目指したのは、大学時代からプレーを見てもらっていた師匠のプロゴルファー、水巻善典の一言が決め手になった。『中地はゴルフを続けないのか?』。
「その言葉を聞いた時に、『私もゴルフを続けていいんだ』って思ったんです」。こうして大学4年時に、コロナ禍で年に2回テストが行われた2021年の1回目(20年度)にエントリー。卒業後は兵庫県の名門、鳴尾ゴルフ倶楽部の研修生になり、本格的にプロを目指しはじめた。
初挑戦だった20年度は『+30』の85位で1次敗退。その年2度目となるテストでは2次まで進み、22年は最終まで1打足らず2次予選で涙をのんだ。昨年も2次までで、今年が初の最終テスト進出。そこで7位に入り、チャンスを見事ものにした。「今年に入ってからパターの握りをクロスハンドに変えたら、調子がすごく良くなった。試合でも成績が出るようになって自信がつきました。パターと気持ちの面が大きいですね」と、その要因を明かす。
5度のプロテスト挑戦を振り返り「長かったですね」という思いがこみ上げてくる。それでも「女子は高校を卒業してプロになる方が多い。大学まで行って、中高はゴルフをやっていなかった分、もっと早く合格したかったけど、今年合格できて良かったですね」という誇りも感じられる。さらなる“伸び代”も感じさせる、25歳の門出だった。(文・間宮輝憲)