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国内男子
ミャンマーオープンで感じたこの国の“勢い”
ミャンマーオープンで感じたこの国の“勢い”
配信日時: 2017年2月3日 07時57分
なお、今年のパンラインはプレー代が土日で100USドル、昨年のミンガラドンは40ドルと値段が倍違うそうだ(※通常のコースは20ドル前後が一般的)。パンラインは「ミャンマーでも1番メンテナンスがいいコース」(G-NABU会・和田会長)だそうで、このコース変更は現地の日本人からみれば妥当な選択に見えたようだ。
ミャンマーはイギリスの植民地で129のコースがあるが、ゴルフをプレーできるのは「一部の富裕層と外国人ぐらい」(和田会長)。外国人では韓国人プレーヤーが多く、次いで日本人や最近では中国人が急増しているという。ミャンマーゴルフフェデレーションのウ・ココエ会長によれば、ミャンマー出身のプロはまだ60人程度、ゴルフ人口は約10万人と“これから”の国だ。
日本ツアーとの共催になり、昨年から規模は大きくなったがほとんどのミャンマーの人々は、この大会について「知らないと思う」(メンバーの溝井さん)。ゴルフをやる富裕層も5人で回ったりとルール・マナー面はいいかげんで、「ほとんどがプライベート。コンペなどは無いに等しい」(溝井さん)そうで、ゴルフがこの国にスポーツとして根付くのはまだまだ時間がかかりそうだ。
ただ、変化の兆しもある。「ジュニアゴルファーが増えています」(和田会長)、富裕層の子供がゴルフを始めるケースが多いようで、コースでその姿をみる機会が増えているという。隣国タイでは富裕層やシンハー社などの大企業が育成に力を入れ、アリヤ・ジュタヌガーンなど世界と戦う選手を多数輩出しゴルフ界を賑わせている。ミャンマーからもいずれそうした選手が現れることを期待したい。
来年はさらに戦いやすく、さらに快適に過ごせる場所になっているだろう。オフィシャルホテルの周囲には大規模なビルが建設されており、来年にはまったく別の景色になっている可能性が高い。こうした劇的な変化はすでに成熟している日本では見ることはできない。ゴルフを通してこうした国の変化を感じられるのは貴重な機会、若い選手にはいい刺激になるだろう。
冠スポンサーのレオパレスとの契約は来年までだが、同社の深山英世会長はミャンマーのゴルフ界を「継続して支援していきたい」と話していた。レオパレスは14年当時にミャンマーに進出、日本人向けのレンタルオフィスの仲介などのビジネスを開始した。そのタイミングで当時選手会長だった池田勇太から提案を受け、この大会の復活に力を貸したという。池田と深山社長が開催に尽力したこの大会、発展を続けるミャンマーと日本をつなぐ架け橋の1つとしてこれからも続いていって欲しい。
ミャンマーはイギリスの植民地で129のコースがあるが、ゴルフをプレーできるのは「一部の富裕層と外国人ぐらい」(和田会長)。外国人では韓国人プレーヤーが多く、次いで日本人や最近では中国人が急増しているという。ミャンマーゴルフフェデレーションのウ・ココエ会長によれば、ミャンマー出身のプロはまだ60人程度、ゴルフ人口は約10万人と“これから”の国だ。
日本ツアーとの共催になり、昨年から規模は大きくなったがほとんどのミャンマーの人々は、この大会について「知らないと思う」(メンバーの溝井さん)。ゴルフをやる富裕層も5人で回ったりとルール・マナー面はいいかげんで、「ほとんどがプライベート。コンペなどは無いに等しい」(溝井さん)そうで、ゴルフがこの国にスポーツとして根付くのはまだまだ時間がかかりそうだ。
ただ、変化の兆しもある。「ジュニアゴルファーが増えています」(和田会長)、富裕層の子供がゴルフを始めるケースが多いようで、コースでその姿をみる機会が増えているという。隣国タイでは富裕層やシンハー社などの大企業が育成に力を入れ、アリヤ・ジュタヌガーンなど世界と戦う選手を多数輩出しゴルフ界を賑わせている。ミャンマーからもいずれそうした選手が現れることを期待したい。
来年はさらに戦いやすく、さらに快適に過ごせる場所になっているだろう。オフィシャルホテルの周囲には大規模なビルが建設されており、来年にはまったく別の景色になっている可能性が高い。こうした劇的な変化はすでに成熟している日本では見ることはできない。ゴルフを通してこうした国の変化を感じられるのは貴重な機会、若い選手にはいい刺激になるだろう。
冠スポンサーのレオパレスとの契約は来年までだが、同社の深山英世会長はミャンマーのゴルフ界を「継続して支援していきたい」と話していた。レオパレスは14年当時にミャンマーに進出、日本人向けのレンタルオフィスの仲介などのビジネスを開始した。そのタイミングで当時選手会長だった池田勇太から提案を受け、この大会の復活に力を貸したという。池田と深山社長が開催に尽力したこの大会、発展を続けるミャンマーと日本をつなぐ架け橋の1つとしてこれからも続いていって欲しい。