■キャディという仕事への誇りと、ゴルフ界への強い問題意識
日本のゴルフ界に対する危機感もある。プロキャディが不足していると前述したが、コロナ禍ではセルフプレーも認められる大会もあったが、基本的にツアー競技のセルフプレーは認められていない。プロキャディがいなければハウスキャディや知人がキャディを担う。その現状を、「あまりいい状態ではない」と湯本氏は見ている。
数多くのプロキャディが切磋琢磨し、学び、経験を積み、その中から選手が最良のパートナーを選べる環境が理想的。岩﨑がDPワールド(欧州)ツアーに参戦したときに海外の現状を知った。3年前までヨーロッパツアーに出ていた」という、元選手がキャディを務める例も珍しくないという。レベルの高い人材が支える土壌があるのだ。
日本には男子で約3000人、女子で約2000人以上のプロゴルファーがいる。その一方で、レギュラーツアーの舞台を経験できないままキャリアを終える選手も少なくない。ならば一度、キャディとして最前線を体感する道があってもいいのではないか――。「こういう世界なんだと知って、もう一回練習を頑張ろうとか、自分は違う道で関わろうと決める」ことも、選択肢の一つではないかと話す。
さらに、ジュニアゴルファーが減っていることにも目を向ける。小学校高学年のときに石川遼がツアーで優勝した姿を見て“夢のある舞台”と感じた湯本キャディ。当時はジュニアゴルファーの数も多く、ゴルフ場ではジュニア料金があり、ジュニアゴルフ大会なども今よりも盛んだった。「いまは少子化問題もあって、ジュニアゴルファーが減ってきています」と寂しい現実も感じている。
「(僕の)立場は弱いけど、またそのときのような盛り上がりをつくりたい」。まず考えているのは、「プロゴルフ界はプロになることが全てではなく、キャディという一職業であり、専門職があること。ゴルフはプロだけでなく、キャディも輝けます。だからこそゴルフを始めてもらって幅広く夢を見てほしい」と自身もプロゴルファーを目指し、プロになった今だからこそ思いを明かした。これからもキャディとしてたくさんのジュニアゴルファーに“夢”を届けていきたい。
選手としても、キャディとしても、ゴルフ界をより良くしたい。その根底にあるのは、かつて努力しきれなかった自分自身への思いと、今、夢を託すパートナーへの信頼だ。バッグを担ぐその姿には、選手の未来だけでなく、日本ゴルフ界の未来を思う視線が重なっているように見えた。(取材/文・高木彩音)
■湯本開史
ゆもと・かいし/1997年生まれ。キャディ歴5年。優勝経験2回。ベストスコアは「63」。2018年に日本プロゴルフ協会のプロテストに合格。現在、松山英樹のコーチをしている黒宮幹氏に教わり、当時同チームだった松田鈴英のキャディを5年前に務めたことをきっかけに“プロキャディ”を志し、現在に至る。帯同する岩﨑亜久竜とは同級生で、22年の「東建ホームメイトカップ」からタッグを組み、海外ツアーにも挑戦してきた。現在は帯同キャディのほか、ゴルフイベントの企画・運営やプロキャディのマネジメント業を手がける株式会社アントシャスの代表取締役を務める。
■伊与翼
いよ・つばさ/2001年生まれ。キャディ歴4年。優勝経験2回。7歳からゴルフを始めて、父や祖父の影響で福井工業大学卒業まで競技を続けた。福井工業大高校1年時に、同級生の杉浦悠太の存在を見てプロの道を断念。大学卒業後は福井の漆器会社に就職が内定していたが、23年「ダンロップフェニックス」で杉浦悠太のアマチュア優勝時にキャディを務めたことが転機となる。岡田晃平、政田夢乃らを担当。昨年の「伊藤園レディス」で初優勝を挙げた脇元華らのバッグも担いだ。
■桑島大紀
くわしま・たいき/2000年生まれ。キャディ歴5年。優勝経験4回。福島で練習場を営む家庭に育ち、5歳でクラブを握る。プロを目指していたが、大学2年時にスキーで膝を負傷し約10か月間プレー不能に。競技を離れる決断をし、“プロゴルファーに最も近い立場で関われる仕事”としてキャディの道を選んだ。平田憲聖ら多くの男女プロを支えている。
■小藪誠人
こやぶ・せいと/1999年生まれ。キャディ歴3年。優勝経験2回。小学6年の夏ごろにゴルフを始めた。通っていたのは、現在バッグを担ぐ鍋谷太一の父が営むレッスン場。そこで鍋谷と出会い、本格的に競技に打ち込んだ。大学卒業まで約10年続けたが、現在は『Westfield Golf』(ウエストフィールドゴルフ)でレッスン活動も行う。昨年、河本結の2勝を支えたことをきっかけに、コースマネジメントの講師も担当。現在はキャディとレッスンの“二刀流”だ。
