世界中のツアー通算113勝(うち日本ツアー94勝)、賞金王12回、年間最多8勝など一時代を築くとともに、日本ゴルフをけん引した不世出の天才ゴルファー尾崎将司氏。12月23日にS状結腸がんのため78歳で逝去した。ジャンボ軍団の一員である東聡が、ゴルフ誌ALBA911号で語ってくれた令和の今でも色褪せないジャンボのショートゲームのテクニックをあらためて紹介する。
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ジャンボさんの2度目の全盛期は1987年以降。40代になってから52勝を挙げられたのは、神がかり的なショートゲームがあったからこそです。87年の「フジサンケイクラシック」では、16番、17番で連続チップイン、95年「ダンロップフェニックス」18番での長いイーグルパットなど、数々のプレーが思い出されます。
今思えば、ジャンボさんは昭和の時代から“令和のアプローチ”をしていたから、チップインの確率も高かったのだと思います。80・90年代のプロはフェースを開いて閉じるアプローチが主流でした。フェースの開閉を使うと、上手く打てたときはスピンが効きますが、ミスしたときのリスクが大きかった。一方でジャンボさんは左手の小指を下に向けたままにして、フェースを開いて上げず、絶対にインサイドに引きません。いわゆるシャットフェースでした。
最近はシャットに打つ選手も増えましたが、当時はジャンボさんくらい。フェースがスクエアになっている時間が長いため方向性がズレにくく、インパクトでの緩みもありません。ジャンボさんはややオープン気味に構えるので体に対してインサイド・アウト軌道ですが、目標に対してはストレート軌道。バックスイングでもフォローでも、ヘッドが目標に対して常に真っすぐ動いていました。だからカップに向かって強く、正確なアプローチが打てていたんです。
パッティングも今でも参考になる部分があると思います。例えば、ヘッドを地面スレスレで低く動かす点。ショートパットはもちろんミドルパット、ロングパットでも同じようにストロークしていました。ヘッドの高さが変わらないので打点が上下にズレることはありません。また、ジャンボさんはソールをべったりと地面に付け、ヒジからヘッドまでを一直線にし、ハンドアップで手元を少し吊る構え。手元の高さが変わらないので軌道も安定していましたね。
振り幅が小さいのに、タッチが強めだったのも印象的です。打った瞬間に「オーバーじゃない?」と思う強さですが、低くてコンパクトな打ち方もあってカップを外してもタップインできる距離で収まっていました。前腕と手元の三角形が変わらない完璧なショルダーストロークだったので、インパクトが緩むこともありません。それが勝負強いジャンボさんのパッティングでしたね。
■尾崎将司
おざき・まさし/ 1947年生まれ、徳島県出身。5年連続を含む計12度の賞金王に輝き、前人未到の通算100勝を達成。ジャンボの愛称で親しまれる。現在は西郷真央、原英莉花らを指導。
■東 聡
ひがし・さとし/ 1961年生まれ、東京都出身。1983年に同期の金子柱憲とともにジャンボ軍団に入り、レギュラーツアーで7勝。シニアツアーでも2勝を挙げている。
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