2026年の“日本一の男子プロ決定戦”「日本プロゴルフ選手権大会 センコーグループカップ」は、レフティの23歳・細野勇策によるツアー初優勝で幕を閉じた。メジャーで初優勝を挙げたのは、昨年覇者の清水大成に続く31人目。日本人レフティとしては、1991年「ダイドードリンコ静岡オープン」を制した羽川豊以来となった。
35年ぶりのレフティ優勝。その快挙は結果だけを見れば華やかだが、そこに至るまでの道のりは、想像以上に険しいものだった。右打ちが圧倒的多数を占めるゴルフ界において、左打ちの選手は“少数派”。優勝会見では、その現実と向き合いながらキャリアを築くことの大変さも伝える。“レフティのリアル”が、そこにはあった。
まず大きな壁として立ちはだかるのが『クラブ問題』だ。「ジュニア用の左利きクラブはなかった」。そのため当時、使っていたのは、レディース用のクラブをカットしたものや、海外から取り寄せたモデル。それらを手配してくれたのは父・誠一さんだった。「全て父がやってくれていたので、すごく感謝しています」。当たり前のように用具がそろう右打ちとは違い、スタートラインに立つまでにもひと手間、ふた手間が必要だった。
それが解決に向かったのが中学校に入ってから。「メーカーにお世話になり始めて、高校生になって今のPINGさんに出会った」。そのサポートがなければ、どこかでつまづいていてもおかしくはない。現在もPINGのツアー担当である穂積真嗣氏と、毎試合、クラブについて入念に相談している姿がある。
『練習環境の面』でも苦労は尽きない。練習場では左打席の数が限られ、打つのはきまって「端っこばかり」。本来であれば、その日に練習したい弾道や持ち球のイメージに合わせて打席の位置を選びたい。例えば、右側の打席からドローボールを打つ――そんな調整もしたいところだが、思うような練習ができないこともあったはずだ。だからこそ「自分が活躍して、少しでも左打席が増えてくれれば」という願いを抱く。
『技術面』でも、レフティ特有のハンディがある。参考にできるのは、ほとんどが右打ちのスイングという点だ。マスターズ3勝を含む米ツアー通算45勝のフィル・ミケルソンや、米通算12勝のバッバ・ワトソン(ともに米国)など左打ちの名手もいるが、「基本的に左の選手の動画を参考にしたことはなくて、右の選手が多い」と明かす。
左右逆の動きになるため、見た動きをそのまま取り入れることはできない。頭の中で“反転”させながら、自分の動きに落とし込む必要がある。その過程を支えたのも父だった。動画を見て分析し、“こうじゃない、ああでもない”と二人三脚でスイングを作り上げてきた。こうした積み重ねの先に、今回の勝利がある。レフティ優勝者が35年も生まれてこなかった事実にも納得がいく。
ただ本人は、その重みを必要以上に背負っている、ということはない。「(レフティが勝てない時間を)早く止めないとなとは思っていた。プロデビューした時(2022年)が31年。35年で止まってよかったなと思います」。淡々と語る言葉の裏には、長年の苦労と、それを乗り越えてきた“歩み”がにじむ。
ツアー会場ではギャラリーから“レフティ頑張れ!”と声をかけられることもあるという。「左打ちを背負ってじゃないですけど、戦っていけるのですごく心強いですね」。少数派であるがゆえの孤独は、同時に支えにもなっている。
今回の優勝は、単なる1勝ではない。クラブ、環境、技術などあらゆる面でハンディを抱えながら戦ってきたレフティが、その壁を乗り越えた証明でもある。そしてこの勝利は、これからゴルフを始める“左利きのだれか”にとっても道しるべになるだろう。
「日本人のレフティはそんなにいないので、応援してもらえる存在になりたいですね」。35年の空白を埋めた勝利が、新たな可能性の扉を開くかもしれない。(文・高木彩音)
