デシャンボーと戦い、世界ベスト16入りした日本のドラコン王<前編>
日本のドラコン王・豊永智大プロが快挙を達成した。昨年10月、米ネバダ州・メスキートで開催された「PLDAロングドライブ世界選手権」でベスト16に食い込んだのだ。そこにたどり着くまでの過程と今の気持ちについて本人に語ってもらったところ、返ってきたのは意外な言葉だった。
配信日時: 2023年1月23日 01時00分
世界一を目指す日本のドラコン王・豊永智大プロが、2022年10月に米ネバダ州・メスキートで開催された「PLDAロングドライブ世界選手権」でベスト16に食い込んだことは、秋に耳にした朗報のひとつだった。ベスト16入りは、豊永自身にとっても日本人選手としても最高レベルの快挙だ。きっと彼は喜々とした様子で取材の場にやってくるだろうと思っていた。
予想していた通り、豊永の表情は、これまで見た中で一番明るかった。だが、彼の口から出た言葉には悔しさが溢れ返っていた。思えば、豊永が悔しさを語らなかったことはない。今回も「うれしいけど、悔しい」を何度も繰り返した。何かを達成しても、それでも謙虚に省みて、さらなる向上を目指すからこそ、豊永は着々と前進しているのだと感じさせられる。
だが、今回の彼の悔しさは、謙虚に反省して悔しさを見出していたと言うより、「そりゃ悔しいね」と誰もが頷くような痛恨の参戦状況だった。
世界選手権決勝への道程
これまでの経緯をあらためて簡単にご紹介すると、長崎県出身の豊永は中学3年からゴルフを始め、ツアープロを目指して奈良県のゴルフ場で研修生になり、鍛錬を重ねたもののアプローチ・イップスを発症。それでも夢を追い続けたが、10年目に断念。しかし「振れば飛ぶ」と自負していた自身の能力を生かしたい、試したいと思い、ロングドライブの大会に挑み始めた。
その後、縁あってIT系企業ライトカフェからのサポートを得る幸運を授かり、以後同社の社員(現在はライトカフェのグループ会社である株式会社ライトカフェスタジオ所属)として働きながら、国内外のロングドライブ大会に挑戦。2019年に日本一に輝き、着々と実績を積み重ねてきた。
そして2022年5月、メスキートで開催された「PLDAロングドライブ世界選手権」の予選で400ヤードを記録して堂々の1位通過を果たし、10月の決勝戦には「自信を持って挑めます。全面的にサポートしてくれている会社や仲間への恩返しのためにも頑張りたい。ベスト4には行きたい、決勝に行きたい、チャンスはある」と希望を膨らませていた。
「実際、心技体すべて、とてもいい状態に仕上がりつつあった。それなのに、、、、」
しかし9月上旬、コロナ感染が判明。隔離中は高熱と喉の腫れに悩まされ、練習もトレーニングもできぬ日々に突入した。隔離が明けたのは9月13日。翌日、フラフラしながら久しぶりにゴルフクラブを振って練習し、その翌日15日にはアジア大会へ出発。本来ならベスト4入り、いや優勝も狙えるはずの大会だったが、ベスト8止まりになった。
「完敗でした。本当に歯がゆい思いでいっぱいでした」
アジア大会の優勝者には、ゴージャスなチャンピオンベルトが授けられるそうで、日本国内のドラコン大会ではチャンピオンベルトは授与されていないという。
「アジア大会のチャンピオンベルトを見たとき、めちゃくちゃかっこいい、あれを手に入れたいと思いました。日本の大会ではチャンピオンベルトはないと思いますが、世界大会でも優勝者にはチャンピオンベルトが授けられるんです。あのベルトこそは、世界に1つしかない勝者の証。チャンピオンベルトを取ること、はめることが、僕にとっての大きなモチベーションになりました」
9月19日にアジア大会から帰国。世界大会の決勝戦に挑むためメスキートへ発つのは25日。その間、わずか1週間ほどしかなかったが、豊永はチャンピオンベルト獲得を目指し、必死のトレーニングと練習を重ねたそうだ。
「なんとかしなきゃという追い込まれ感もあって、不思議なぐらい必死でした。でも、コロナ感染の影響で筋肉が減ったり、弱っていたり、疲れも出やすくなっていて、最善は尽くしたけど最高の状態にはできず、そこが本当に悔しかった」
準備万端とはならなかったものの、豊永は世界大会の決勝戦に挑むため、メスキートへと向かっていった。
デシャンボーの迫力
決勝戦に出場したのは、予選を勝ち抜いた128名の飛ばし屋たちだった。AからDの4つのグループに分けられ、初日と2日目のどちらかが指定され、両日とも64名が32名に減らされる。豊永には2日目が割り当てられ、そこで順当に勝ち残ると、3日目も4日目も大健闘し、ベスト16入りを果たした。
「日本人選手は、初日はライトカフェからのサポートを受けている僕を含めた4人以外にも、別団体所属の6~7名がいましたが、ベスト16入りできた日本人は僕だけでした」
そのベスト16入りを果たした4日目。豊永はブライソン・デシャンボーと同組で戦った。驚異的な肉体改造に取り組み、2020年に全米オープン覇者となったデシャンボーはドラコン世界一を決める今大会にも挑んでおり、2021年はベスト8入り、そして2022年は最終的には2位になったが、その途上では豊永とともに戦った日を経ていたということになる。PGAツアーでも、昨年移籍したリブゴルフでも、絶大なる飛距離を誇るデシャンボーの渾身の飛ばしぶりを間近に見て、豊永は驚嘆させられたそうだ。
「デシャンボーは、やっぱり球質が他の選手と全然違いました。持ち球は6球なのですが、そのうちの3~4球をフルスイングで(規定の)グリッド内に入れてくる。ボールを正しく捉える正確性の高さが群を抜いていました」
豊永はそんなデシャンボーの迫力と実力を前に、ベスト16止まりとなった。勝ち残ったデシャンボーはベスト8、ベスト4と進み、決勝では426ヤードをマークしたドイツのマーティン・ボグマイヤーに惜敗した。
「2人の決勝は、ボグマイヤーもデシャンボーもギャラリーも、みんなテンションが上がっていて、すごい盛り上がり方でした。僕もあの中に立ちたい、あそこで戦いたいと思いました」
「痛恨」を経て得たもの
日本人選手の中では最高で唯一のベスト16入りを果たしたことで、2023年大会の予選が免除され、いきなり決勝戦に臨める「シード選手」の立場を得た豊永。コロナ感染による筋力低下、練習不足といった悪条件が重なった中でのベスト16入りを、「まあ、良かったとは思います。でも、反省すべき点はいろいろあります」と振り返る。シャフトが壊れるハプニングもあり、準備不足を痛感させられるなど、本当に「いろいろあった」決勝戦は、まさに「痛恨の参戦」だった。
達成感もあるが、それ以上に悔しさが残る。しかし、それでも豊永の表情が飛び切り明るく生き生きしていたのは、痛恨のチャレンジを経て体得した貴重な収穫が彼の希望を膨らませ、来年に向けた展望が大きく広がっているからに違いない。(後編へつづく)
取材・文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)
写真/山代厚男(一部、豊永智大プロ提供)