ウッズ一家は持ち家を担保に借金をした。当時を思い起こしたウッズは、式典に参列していた母、クルチダさんを前にして溢れる涙を抑えきれなかった。
そうした両親のお陰で参加したジュニアリーグでは、ときおりカントリークラブでの大会もあった。「ものすごくきれいなグリーンでのプレーにとても興奮した。だけどいくつかのカントリークラブでは僕の肌の色のせいで、他の子供たちはみな入れるクラブハウスへ入ることができなかった」と人種差別と戦ったことも振り返った。
ジュニアで活躍しスタンフォード大に進学、20歳でプロ転向を成し遂げるとまだ20歳の僕にナイキ、タイトリスト社などと大型契約をしてくれた。最初したことは両親の借金を返済だった」と胸を張った。
1996年にプロ転向以降、メジャー15勝、歴代最多に並ぶ米国男子ツアーツアー82勝、世界中で93勝を挙げてきた。
「ゴルフは個人のスポーツ。一人で戦うものだけど、僕の場合は違う。素晴らしい両親、恩師、友人に恵まれ、うまくいかないときも支えられた。ここにいる母、チャーリー、サム、エリカ、すべての人に感謝したい」とスピーチを締めくくった。(文・武川玲子=米国在住)