しかし、公傷制度を生かして17年に戦線復帰すると、18年のシュライナーズ・ホスピタルズ・フォー・チルドレン・オープンで初優勝を挙げ、19年のザ・メモリアルトーナメントで2勝目を達成。
そして、コロナ禍で20年と21年を併せた今季は飛躍のシーズンになった。前述した3勝に、このツアー選手権優勝を加え、シーズン4勝、通算6勝目を挙げて初の年間王者に輝き、15ミリオンのビッグボーナスを手に入れた。
腰の故障による戦線離脱があったぶん、スポットライトを浴びるタイミングが遅れてしまった。だが、苦しい時期を経験したからこそ、打ちたいショットを頭の中で思い描くビジュアライゼーションとメンタル・コントロールの方法を身につけ、ショットのたびに、そのプロセスを寸分違わず冷静に実行する「完璧主義者」、「パティ・“アイス”」と呼ばれるようになった。
「苦しい日々の中で、僕が僕であることの大切さを知り、自分のゴルフを見つけることができた。そういう日々を支えてくれた人々には、どれだけ感謝しても感謝しきれない」
ようやく陽があたったキャントレーは、時間をかけて熟成された大輪の花。そんな遅咲きのスター誕生は、コロナ禍の米ツアーにもたされた明るいビッグニュースだ。
