<東建ホームメイトカップ 最終日◇12日◇東建多度カントリークラブ・名古屋 (三重県)◇7090ヤード・パー71>
ルーキーイヤーの2020年「ダンロップフェニックス」での戦いが、ふと脳裏をかすめた。稲森佑貴とのプレーオフを前に、石坂友宏はあの苦い敗戦を思い出していた。
当時、東北福祉大3年だった金谷拓実とのルーキー&学生による優勝決定戦は、金谷に軍配が上がった。今大会はそれ以来となる、自身2度目のプレーオフ。「もう負けるわけにはいかない」。不安を押し込み、「やってやろう」と自らを奮い立たせた。
稲森との戦いは、2ホールに及んだ。張り詰めた空気の中にも、グータッチを交わしたり、お互いをリスペクトし合う姿が印象的だった。
最後に勝利を手繰り寄せたのは石坂だった。「やるべきことをしっかりやった」。3日間の短縮決戦を終え、妻の星空(せいあ)さんとともに、こみ上げる涙で喜びを分かち合った。
その涙の奥には、さまざまな思いが交差していたに違いない。これまでの歩み、支えてくれた人たち。優勝会見では、師匠という存在についても語った。
その名は、鈴木隆さん。出会いは10歳のころ、地元・横須賀の練習場だった。自己流で道を切り開いてきた石坂にとって、最も頼りにしてきた存在だ。
鈴木さんはゴルフの素人で、技術的なことに口を出すことはなかった。その代わりに、『生きた球を打ちなさい。気合入れろよ』という言葉を投げかける。足でボールをティアップすれば叱られた。幼い石坂には「何を言っているんだ」という感覚だったが、人としての振る舞いを教えてくれる存在だった。
時に厳しく、時には優しく。小学校6年生からは不登校気味になった石坂に『学校に行かなくてもいいよ』とも言ってくれた。
だが、別れは突然だった。昨年10月、「日本オープン」の翌週。鈴木さんは93歳でこの世を去った。訃報は電話で知らされた。「僕には、(鈴木さんの他に)教えていただいているプロがいなくて。すごくショックで。鈴木さんがいなければ、ゴルフをやっていなかったかもしれない」。
吉報を直接届けることはかなわなかった。それでも「報告に行きたいですね」と、お線香を手向けるつもりだ。きっと天国で、鈴木さんは誰よりもこの勝利を喜んでいるに違いない。(文・齊藤啓介)
