こんな副産物もあった。「あのスイングで良かった、と方向性が明確となったことでメンタル面も安定するようになりました。また目指す方向性が一本に絞れた。あれこれ悩まずに済むようになった」。これまでにあった迷いは消え去った。それもスイング改造がうまくいった要因だ。
■信じ切ったなかでの積み重ね コーチが諦めさせた“諦めること”
青木は2勝目が遠かった部分として「勝ち方が分かっていなかった」ことを理由の1つとして考えている。
「1勝目は短縮競技(初日が中止となり36ホール決戦)だったこともあって、ボードを見ながらの戦いではありましたけど、最終組よりも1時間も早く上がっていましたし、今思えば優勝争いをしていなかったと思います。だから“こうすれば勝てる”というものが見つかっていなかった。何が何だか分かっていませんでした」
そうこうしているうちに若くて強い選手がたくさん出てきた。飛ぶ選手が出てきてコースの総距離もどんどん長くなっていった。自分の調子はなかなか上がってこない。未知のウイルスで試合が中止になる日々。そうして、ちらついてきた引退後の生活。「グッズとかを作るのが好きなので、選手たちのグッズを作るのもいいな」なんて思ったり。そんな青木の背中を押し続けたのが、15年からキャディとして、コーチとして支えてきた大西氏だった。