延期となる前は候補選手の一人だった東京五輪など到底考えられない。「調子が上がらないので頭になかった。この試合で頑張りたいというよりは、どの試合でもいいからうまくいくきっかけが欲しかった」。日の丸どころではなく、わらにもすがる思いしかなかった。
年が明けてもなかなか状況は好転しなかったが、5月に一つ大きな転機があった。「パナソニックオープンレディス」の指定練習日にレストランで上田桃子と一緒になった。その時は普通の会話をして終わったが、その試合で優勝した上田の記事を見たときに驚いた。
「桃子さんも苦しんでいたと知りました。勝手ながら私は桃子さんと性格もプレースタイルも似ていると思っています。そこでほかの選手、しかも桃子さんもこんなに悩んでいたんだと驚きました。桃子さんでそんなに苦しいなら、私はもっと頑張らないといけないと思った。すごく大きな出来事でした」
自分だけではないことが分かり、気持ちも少し晴れた。そして、少しずつ良いプレーができる日も増えてきた。アドレスが左に向きすぎていたこともようやく分かった。そんな鈴木を最後に優勝へと導いたのは、やっぱり練習だった。
「奇跡」と称したパー5のショットインイーグルで単独首位に浮上するも17番、18番と1.5メートルのしびれる距離のパーパットが残った。落とせば2位の西郷真央に並ばれる状況。だが、思った以上に落ち着いていた。
