とはいえ、コロナ禍というピンチにも直面する中、他のゴルフ競技団体とは比べものにならない積極性をもって、大会開催への努力を続けたのは確か。また、不祥事続きでマスコミを避けるため、裏口から逃げることまであった歴代のPGA会長だが、そうした会長たちに比べれば「何があっても情報をディスクローズする姿勢は評価されてしかるべき」と評価する声は関係者からもよく聞かれる。
倉本会長自身も「確かにPGAというものの露出も増えて注目度が上がり、世に知られるようになったというのは、ひとつの実績なのかと思います」と、感慨深げに振り返った。今後については「選手に戻りたい。JGTOやPGAの試合にも、選手として出たいなと思います。8年間我慢していたんで、ゴルフ三昧したいなと思っています」と続けた。
2003年の「アコムインターナショナル」初日に48歳で「59」という当時のツアー史上最少スコアをマークした倉本。66歳で迎える来シーズンは「エージシュートラッシュ?」と水を向けると、「いやいや、そんな甘いもんじゃないよ」と笑ったが、来季は相当期待してよさそうだ。
