このコースは、東コースの18ホールと、西コースの18ホールの計36ホールある。石川も出場した2年前の「日本オープン」では、西コースの16ホール、東コースの2ホールが使われていて、10番ホールは東の17番、11番ホールは東の18番、12番ホールは西の1番というように、変則的なコースレイアウトとなっていたのだ。
試合当日、西コースは貸し切りだったが、東コースは一般客が回っていた。スタート時間をうまく調整することで、男子の部は7,207ヤード・パー71というツアー並みの飛距離で開催することができたのだ(女子の部は6,601ヤード・パー71)。「あとはいかに安全にこの大会を運営するかだけでした」と、ツアーと同じようにPCR検査の導入を決めた。さらに、「費用がハードルになって、出場を断念せざるを得ない状況は避けなければいけなかった」と全員分のPCR検査代を石川が負担したのだ。
「今年なかなか味わえなかった試合の緊張感と、自分が打ち込んできたスポーツの一瞬一瞬の思い出が財産になっていくと思うので、大会を開催したいと思った」。そう踏み出した石川の一歩が、しっかりとしたスピードで走り出し、何もないはずだった“高校の夏”を笑顔に変えた。