3月に開幕したLDJ(LONG DRIVE of JAPAN)のドラコンツアー。そのとき、9度の日本チャンピオンに輝いているプロドラコン選手の山崎泰宏は病院のベッドにいた。
ドラコン界のレジェンドで、男子プロの木下稜介や阿久津未来也のコーチを務める山崎の左股関節に痛みが走ったのは4年前。ドラコン競技には出場し続けていたが、症状は徐々に悪化し、その1年後には歩くのが辛くなった。左股関節に体重が乗せられないため、ドライバーを力強く振ることができない。脚を引きずって歩くようになり、「200メートル歩くと痛くて歩けなくなる」。布団に入っても「痛くて夜寝られなかった」と日常生活にまで支障をきたした。
「切るのが怖かった」。人工股関節を入れれば日常生活は問題なく過ごせるかもしれない。でも人生をかけて取り組んできたドラコン競技に復帰できるかは分からない。山崎はなかなか手術に踏み切れずにいた。そんなとき『筋肉を切らずに人工股関節を入れる手術』の存在を知る。
東京都世田谷区の玉川病院が人工股関節置換術の実績が豊富で、柔道選手やプロスキーヤーの術後の現役復帰に貢献していた。地元の長野でスキーのインストラクターをしていたこともある山崎は「スキーは股関節とヒザをかなり使う。ここで手術すれば現役に復帰できるかもしれない」と希望を見いだし、ついに今年の3月3日、手術を行った。
術後は筋肉痛に襲われた。「何もしてないのにスクワットをガッツリ追い込んだ感じの筋肉痛が続きました。切ったところと大腿四頭筋(だいたいしとうきん、前モモ)と大臀筋(だいでんきん、お尻)です。永遠に筋肉痛が取れなかったらどうしようかと思った」。歩くと左右に揺れる。「やばい。真っすぐ歩けない。地面に足を着くと、骨盤をコンと押される感覚があった」と振り返る。「現役に戻れないかもしれない」。不安に押し潰されそうになった。
幸いなことに山崎の心配は杞憂に終わる。骨盤が押される違和感は3日間で治まり、左脚の筋肉痛は4週間で消えた。『現役復帰』への光が見えたのは、手術から1週間後に行った24kgのケトルベルを使ったスクワットを行った瞬間だった。しゃがんでも痛みがなかった。
「(筋肉が)固まると良くないと思ったので伸ばしたかったんです。看護師さんには『それはまだ早いですよ』って言われましたけど(笑)。ここまで深くしゃがめたのは3年ぶりでした。スクワットで痛くない。幸せを感じましたし、感動しましたね」
そこからリハビリのペースを一気に上げていく。目標は『現役復帰』から『今シーズン中にツアーに戻る』に変更した。術前は痛くてなかなか履けなかった靴下が、問題なく履けるようになった。丸まっていた股関節部分が伸ばせるようになり、173.7cmだった身長が177.4cmに「4センチ近く伸びた」。
退院後の3月12日、60度のウェッジで15ヤード飛ばすことができた。「左足に体重を乗せるのが怖くて、右足1本で打つ感じ」。それでも、かつて400ヤード飛ばしていた山崎にとって大きな前進だった。術後3週間でドライバーを軽く振るまでに回復。「1か月記念でラウンドに行ったら普通に打てた。280ヤードしか飛ばなかったけど」と笑う。『またドラコンの試合に行ける』。希望は確信に変わった。
復帰戦は、7月18日に松本浅間カントリークラブで開催されたLDJ長野大会。「地元だから」という理由で決めた。19日と2日間連続のダブルヘッダーで、56歳の山崎はシニアディビジョン(50歳以上)とスーパーシニアディビジョン(55歳以上)にエントリーし、合計8試合のうち7勝(2位1回)と11か月ぶりの復帰戦でいきなり結果を残した。19日には331ヤードを記録している。
「一時は試合に戻れないと諦めていたので、まだ勝てる、まだまだもっとやれると思いました。選手に戻れた喜びは大きかったです」。左股関節の痛みはなくなったものの、恐怖心から、「いまだにビビって(左股関節を)抜いちゃう癖がある」。最高で65m/sだったヘッドスピードは今58m/s、160kgでできていたスクワットは現在100kg。当然のことながらスイングも筋力も完全には戻っていない。
山崎は2021年にはドラコンの大会中に心筋梗塞に倒れ、死の淵を彷徨った。そのときは退院から2か月でドラコン競技復帰を果たしている。SNSで情報発信を続けたことで、「心筋梗塞友達と人工股関節友達ができました」と話す。メッセージで彼らの相談に答え、実際に心筋梗塞からゴルフに復帰して、レッスンを受けにきた人もいるという。「人に希望を与えられたらいいですね」。今年の目標は11月、LDJの日本決勝大会で勝つこと。山崎にとって10度目の日本タイトルがかかる。