やさしさに包まれた、宮里藍の引退会見
宮里の引退報道は、ゴルフメディアにとどまらず、一般マスコミでも大きく取り上げられたが、その論調は、これまでゴルフ界に残してきた輝かしい業績を讃え、その早すぎる引退にも理解を示すものが多かったように思う。それは小柄な身体で厳しいプロトーナメントの世界で戦い続ける困難さを、多くの人が目の当たりにしてきたからではないだろうか。
2010年に5勝を挙げ、世界ランキング1位にまで登りつめた。その原動力となったのは、ショットの正確性もさることながら、米国女子ツアーの中でも指折りのパッティングとアプローチの上手さだった。ところが、近年はそのパットが入らなくなった。「あの距離が外れるの?!」と驚くような1m以内の短いパットですら外れることがあった。プロとしての生命線であるパッティングの成績が落ちたことで、ツアーでの戦いは困難を極めた。
それと同時期に、女子ツアーは一気にパワーゲームの様相を呈してくる。300ヤード超えを連発するレキシー・トンプソン(米国)やアリア・ジュタヌガーン(タイ)など、驚くほどの飛距離を持った選手が次々に台頭し、60台前半から半ばのスコアが頻発。ドライバーで大きく飛ばして、ショートアイアンやウェッジで真上からピンを刺すようなゴルフだ。
宮里のプレーがファンの感動を呼ぶのは、そこに清々しさやひたむきさ、前向きさといったポジティブな印象を受けるからだろう。しかし、その華やかな見た目の内側では、体格的な不利やパッティングのイップス、長期のスランプなど、ツアーで戦うことの困難さをずっと抱えていた。爽やかな宮里の立ち振舞いからはなかなか伺い知れない、いわば内出血の痛みようなものだ。
体格や飛距離に恵まれた選手は、過去にも現在にも大勢いる。それでも宮里は小さな身体で、スランプを克服し、誰よりも輝かしい成績を残した。その大変さを多くの人が感じ取ったからこそ、「藍ちゃん、お疲れ様。今までありがとう」という暖かい雰囲気が生まれたのではないだろうか。
