<コスモヘルスカップ シニアトーナメント 初日◇1日◇鳩山カントリークラブ(埼玉県)◇6904ヤード・パー72>
今週、3年ぶり2度目の国内シニアツアーに出場している田中秀道。初日は2バーディ・1ボギーの「71」で回り、2014年4月5日の下部ツアー「Novil Cup」2日目以来、およそ10年半ぶりに試合でアンダーパーをマークした。ホールアウト後は「正直、だいぶうれしく感じています」と笑顔を見せた。
1998年の「日本オープン」を含む日本ツアーで10勝を挙げている田中が、ショットイップスに悩まされるようになったのは、米PGAツアーに参戦していた2006年。「切り返しでアッとクラブが消える感じです。100ヤード(幅)のフェアウェイがあっても隣の家に入るくらい」。
米ツアーでシードを落として07年は日本ツアーに復帰。「休まなきゃいけない状況なのに、男子ツアーがいまいち盛り上がっていないと聞いて、頑張らなきゃと思って1年やっちゃったんですよ。症状が治まらないまま2006年、2007年と2年やってしまったので、もっと悪化しました。2008年に1年間休養したんですけど、なかなかアクは取れずに、2005年から19年くらい普通のゴルフができていませんでした」。
田中が活躍していたときの代名詞はドローボール。中継のカメラが後方から田中を映すと、ボールは画面の右に一度消えるが、しっかり左に戻ってきてピンを刺す。それがイップスの症状により、右に出て右にスライスするようになった。ドローヒッターにととって逆球のスライスは致命的で、ゴルフの組み立ては完全に崩壊する。出球をストレートにするなど試行錯誤を繰り返したが、なかなか「80」が切れない。
「ドライバーはシャンクみたいな球でスライスして隣の隣のホールまで行っちゃう。フェアウェイ真ん中からショートアイアンでも隣のホール、サンドウェッジでも隣のグリーンに乗ったりするケースが多かった。OBが止まらないので、スコアでいうと『120』が切れないときも。(ツアー外競技の)岐阜オープンには毎年出ていて、去年と一昨年は途中で棄権していますが『100』を切ってないんですよ」
そんな田中の最大の難関はアマチュアと一緒に回る“プロアマ戦”。「見えるところに飛ばないとやばいな、隣のホールに行ったらどうしようと思うと、余計にクラブが上がらなくなる。試合で曲がっても自分が頑張ればいいだけなんですけどね。試合以外のプロアマの話があっても全部断っていました」。それが今週はプロアマ戦にも出場して、「第一段階でしたけど楽しくやらせていただきました。初日も震えながら同じようにいい感じで打てた」と話す。
19年間悩まされてきたショットイップスに光明が差したのは今年4月のこと。「3月までは誰もいないゴルフ場で3球打って3球とも隣のホールに並ぶくらいだったんです。これは何か考えて打つ次元じゃないと思って、本当におじいさんが使うようなグニャグニャのクラブを借りて練習場で打ってみたら、フックが返ってくるんですよ。距離は出ないんですけど、面白いと思いました」。当然、世界最高峰のPGAツアーで戦っていた20年前とは、柔軟性や筋力が違う。「体でため込んでしなりを出すのができないので、シャフトをしならせれば何とかなるというのが分かりました」と、ついにドロー復活の糸口をつかんだ。
試行錯誤を繰り返し、ドライバーのフレックスは『X』から『S』に、アイアンからサンドウェッジまでは「生まれて初めて」スチールからカーボンにチェンジした。アイアンのシャフトは130グラム台のトゥルーテンパー『DG S400』だったのを、今は110グラム台のグラファイトデザイン『RAUNE-PRO i105 S』を使っている。今年4月に出場した岐阜オープンは予選落ちだったが、「75」で回って試合でも手応えを得た。
「試合の機会がどっかであったらいいなと思いながら仕事をしていたんですけど、今大会のディレクターから『チャレンジしてみませんか?』という話をいただいたので、ありがたく挑戦させてもらった」。もともとはコースセッティングアドバイザーをやるつもりで、一度コースを下見していたが、辞退して選手として出場を決めた。そうして臨んだ今大会では10年ぶりのアンダーパーにつなげたのだ。
これをきっかけに田中のプレーを見られる機会は増えるかもしれない。「できたらまたツアーにしっかりと足を向けて頑張ってみたいなと思っています。プロゴルフの域までは達してないですけど、ゴルフの枠に入ってきた。今はプロゴルフのラインまで上げたいなという気持ちになっていますね」。トーナメントでプロがアンダーパーで回ることは当たり前のことだが、田中にとっては大きな大きな意味を持つラウンドとなった。