親友・小祝さくらとドレス姿でツーショット【写真】
新型コロナウイルスが世界中でまん延した20年春。淺井も満足な練習を積めずに、自宅で多くの時間を過ごす選手の一人だった。「今シーズン(20年)は大事な一年になる」と、これまで以上に気合が入ったオフを過ごしたが、3月から大会中止が続きリズムは大きく崩れた。
ようやく開幕したのは6月の「アース・モンダミンカップ」(53位タイ)。10月の「スタンレーレディス」ではプレーオフで敗れたものの2位タイを記録し、続く「富士通レディース」で4位タイになった。しかし統合され同一シーズンになった21年を迎えると“予選落ち”の文字が目立つようになる。
これはドライバーの不振に起因するものだった。「怖くてドライバーが打てなくなって、試合もスコアを出すというより、ただ消化しているという感じ。まったくゴルフになっていませんでした」。この1年半のフェアウェイキープ率をみると55.1368%の89位。64.5466%で59位だった19年シーズンよりも、その数字は大幅に悪化した。それにともないパーオン率も21位から82位まで急降下。これでは苦しいゴルフになるのは無理もない。
昨季は賞金ランキング、もしくはメルセデス・ランキングのいずれかで50位以内に入ればシード入りを果たせたシーズンだった。そのなかで自身最終戦となった21年11月の「大王製紙エリエールレディス」を、ボーダーライン上の賞金ランク50位で迎えることになる。結果は2日間トータル4オーバーで予選落ち。この結果、後続の選手に抜かれシードを喪失した。
