木⇒メタル⇒チタン。全て通ってきて、カーボンは初めて
マーク金井 我々パーシモンで育った世代はジャンボ尾崎プロはじめ、テーラーメイドのメタルへの一気の移行を目の当たりにして衝撃でしたよね。パーシモン時代を終わらせた『ピッツバーグ・パーシモン』も話題でしたが、ボクは『ツアープリファード』は3本買いましたよ。日本の男子ツアーを席巻しましたよね?
田中秀道 ええ、メタルになってから、いきなりパーシモンより10〜15Y伸びましたから。弾きや操作性に慣れた後の初優勝は『V921』というメタルでしたね。
マーク金井 95年前後からの『ファイヤーソール』も印象深いです。FWも名器でしたよね。これもボク、3本以上買いました。
マーク金井 おぉ! 現代まで続く3タイプ一気出しは、当時は衝撃でしたよね。その後の2002年の『R510TP』も3本買いました。コレまた名器でしたよね?
田中秀道 はい、ちょうどPGAツアーで戦っていた頃です。行ったばかりの時はアメリカ人にも飛びで負けませんでしたが、ボクはフェース開閉を俊敏に使って飛ばす小柄なタイプ。身長が高く手も長い欧米人が大きなヘッドを選んで曲げずに飛ばしていたのも印象深いですね。
素材の変更が性能を変える。それが1Wの進化の歴史
田中秀道 そうですね。毎年新しくなるので、今度はどう来るのか?一種のファン目線でもありましたね。特にスリーブ可変は、非常に便利になった記憶があります。
マーク金井 2010年移行は、業界でも「トラックマン」など弾道計測器の普及によって、メーカー各社も「弾道工学」を入れはじめましたよね。テーラーメイドは『SLDR』で浅重心にしたり、ハイロフトで高打ち出しを啓蒙したり。
田中秀道 クラウンが真っ白の『R11』など、見た目やデザインの変化も凄かったですよ。中でも色の変化は一番多いはず。
マーク金井 そう、思えばクラウン部分の装飾も含め、やり始めはいつもテーラーメイド。その新作『ステルス』なんですが、見てください!このシンプルな黒のクラウン。他社がクラウンの装飾やデザインを真似てきたら、いち早く正統派な真っ黒ヘッドになり、しかも、今回の『ステルス』はなんと、赤いカーボンフェース!!!
初速が出て弾道も作れる。チタンじゃ勝負にならない
マーク金井 改めて飛ぶドライバーの歴史を振り返ると、必ずマテリアル(素材)の変更と構造の変更の歴史ということが分かります。チタン製ではその比重の特性上、構造的進化ができないのは全てのメーカーが抱えるわけで、テーラーメイドだけ軽いカーボンフェースでそこから先へ行った形と言えますよね。
田中秀道 常に飛びも革新もトレンドも、全てテーラーメイドが作ってきたので、大抵のことには驚きませんが、カーボンウッドはゲームチェンジャーですね。それだけは言えると思います。
ドライバーに悩む全世代を『ステルス』が救う!
1990年代半ば〜2001年頃に全盛期を迎えた田中。柿の木➡メタル➡チタンと小ぶりな1Wを愛し、小柄な体を補うべく、俊敏なフェース開閉による大きなドローで大男を凌ぐ距離を出していた。が、03〜06年にヘッドの急激な大型化を迎え、460ccになると持ち球が失われた。腰椎が潰れたうえ頚椎の神経もやられ、右から右へ隣のホールに飛ぶ1Wイップスに苦しむ。
そんな中、『ステルス』を構えると本能が呼び覚まされる。「余計な線や装飾がなく、昔と同じに構えやすく速く振り抜けるイメージが出る」。腕を磨いた瑞陵GCの1番は右OBだが、着弾地点の左も狭く、ラインを右に取りたいホール。エースの『SIM2』で初球から大きく右へプッシュアウトを3連発し「今はただの下手糞ですよ…」と自嘲する姿が痛々しい。
“すべる”1Wだと右OBでも「左ラフに保険がかけられない」
「まさかカーボンフェースでこんな進化を果たすとは…。コレなら右に出してもドローで戻せるし、初速も距離も出る。左ラフに保険もかけられるし、ヒール下でも右にすっぽ抜けない。嬉し過ぎます、もう一生こんな新作に出合えると思わなかったので…」。
田中にとって、現代ヘッドではどうにも出来なかった “ビッグドロー”が見事復活していた。男の言葉に偽りはなく、『ステルスプラス』で放ったビッグドローは、HS47m/s前後で、球を拾いにいくと気温2度でゆうに300ヤードを越えていた。
まさかこんな進化を現代ではたすとは!
取材途中に、たまたま通りがかった田中の弟子・富田雅哉が駆けつけてきた。「秀道さん、どうだったんですか?ボクにも打たせてくださいよ!」。田中は「凄いよ、カーボンフェース。コレなら滑らないからドローが打てるし14本が繋がるよ!」と応じる。打った富田も破顔で「秀道さんの言う通り。今すぐ持って帰りたい!」とムリを言う。
田中と富田の『ステルス』トークは、永遠に終わらなそうだったが、最後に師匠はこう締めた。
と、しみじみ語る男の目に光るものが。カーボンウッドはドライバーに悩む全ての人を救うかもしれない。
取材後記
2000年代半ばまでのPGAツアー参戦を経て、2006年頃に国内ツアーに戻ってきた田中は、筆者の知る「輝く笑顔」をなくしていた。ドライバーイップスの症状は酷く、頚椎も腰椎もやられて「切り返しで電気が走るようになった」と、今回自嘲気味に振り返った。小ぶりなドライバーで20年前に最長340ヤード近く飛ばしていた、あの憧れの人が、だ。
ドライバーの進化や大型化は、当然、プロ・アマを含めた全てのゴルファーに恩恵をもたらしてきた。その一方で、「自分の持ち球が打てなくなった…」と、苦悩と共に静かに競技から離れた選手もいる。かくいう筆者も、20年前の学生時代がドライバーショットのピークで、あの当時の球や残像を未だに追い求める自分を消すことができないでいる。
田中の事情を知った上で、今回の取材を打診した。そして、厳しい意見が返ってくることも覚悟した。が、結果的に『ステルス』は、一人の選手を救った。男の感動たるや、どれほどのモノだったろう。5千円札を握りしめ「この道で飯を食う」と14歳で家出を決意した、この道に賭けてきた職人。得意が活かせなくなった十数年……。
彼の言っていることは、本当だった。20年近くの不遇の時を経て遂に『ステルス』に巡り会った。「もう少し、早くコレに出合いたかった」というのも、偽らざる本音。いずれにせよ、憧れの人の輝く笑顔を久々に見ることができて、本当に幸せだった。
Text/Mikiro Nagaoka