渋野日向子がDJと同じシャフトにニンマリ【写真】
米国女子ツアーのワン会長からの知らせを受けたスージーさんは「本当に光栄。(2月に亡くなった)ミッキー・ライト、キャシー・ウイットワース、ジュディ・ランキン、パティ・バーグらと同じ賞をもらえるなんて思いもしなかった。初めてツアーに入ったとき、パティはとても私に優しく、ミッキーと初めて一緒にプレーをしたときはとても怖かった。彼女たちと肩を並べることは本当に誇りに思う」とコメントした。
15歳でゴルフを始めオクラホマ州の高校女子選手権を3連覇、オクラホマシティ大から女子として初の奨学金を受けて進学し、男子チームの一員としてプレーした。
1964年に米ツアーメンバーとなり“ルーキー・オブ・ザ・イヤー”を獲得。65年に「ウェスタン女子オープン」、「全米女子オープン」は68年、72年、73年の3度、勝利を挙げている。
彼女がトーナメントから棄権をしたのは1度だけで、その理由はベビーシッターを見つけることができなかったから。当時のツアーはプレー中に子供を預かってくれる“チャイルド・ケア”などない時代。そんな状況でも娘を育てながらプロゴルファーを続けていたのは特筆すべきこと。68年にその年の初勝利を挙げたのは新婚7週間、全米女子オープンに勝利したのも娘のロビンちゃんを連れての転戦だった。