「清元さんが会長だった時に、日米でプレーをしていた私に“日本でも飛距離のある強い選手を育てたい。日本とアメリカのコースを比較してどう?”と聞かれたことを覚えています。ティーチング制度を確立されたりと、力を込めて一生懸命やられているように感じましたね」。協会で一緒にやった期間はほとんどないが、小林が理事になった際「応援するよ」と声をかけてもらえたことも思い出の1つだという。
弟子の中で唯一日本女子オープンを制している不動裕理もチャンピオンズディナーに参加。「2日前くらいに古閑美保ちゃんから聞いてしりました。2年くらい会っていないので、ここまで悪いと知りませんでした。ビックリしました」と未だ驚き冷めやらぬ様子だった。
「清元先生はみなさんが思うような怖いところはありませんでした。私の思う先生とみなさんが想像する先生とは乖離(かいり)があるように思います。私の考える清元先生はまさに“先生”という感じの人でした」。5〜6年もの間、同じ屋根の下で暮らした2人。「一緒に住んでいた期間が長かったからか、思いだすのは夕食を一緒に食べたり、犬の散歩をしたりといった日常的なことが多いですね」。
「教えてもらったことを振り返ってみると当たり前のこと、基本的なことをしっかりと言われていました。“壁を作る”とか本当にゴルフの本に載っているようなことです。賞金女王を獲っても“良かったね〜”くらいですんなりと言った感じでした。あんまりお祝いとかは無かったですね。そういったかたちで家に住み込みで料理を作ってもらいながらゴルフを教えてくれた。協会の仕事と掛け持ちでやってくれました。とても感謝しています。何事も“やる”と決めたら毎日やる続けるという清元先生の教えを今後も大事にしていきたいと思います」としみじみと語った。