ALBA Net  ゴルフ
ALBA Net  ゴルフ
注目!
ツアー情報

国内男子ゴルフ JGTOツアー

日本ゴルフツアー機構(Japan Golf Tour Organization)主催ツアー

北の大地で決めた!天国の母に送るツアー初優勝【名勝負ものがたり】

歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

配信日時:2022年7月6日 08時00分

優勝を決めてようやく安ど
優勝を決めてようやく安ど (撮影:ALBA)
前日の晴れた空とはうって変わって、頭上には重い雲が垂れ込めていた。それは弱冠25歳、ツアー未勝利である横田真一の心境にも似ていた。札幌ゴルフ倶楽部輪厚コースの18番。3段グリーンの1番上の段に切られたカップの、さらに上1メートル強の距離が残ったウイニングパット。これを決めることは、横田にとって重要な意味を持っていた。1年近くになる初優勝に向けての戦いに、ようやくピリオドが打つことも意味していたからだ。横田は、ゆっくりとそのパットのアドレスに入った――。

話は約1年前、1996年の10月15日までさかのぼる。ブリヂストンオープン(千葉・袖ヶ浦CC袖ヶ浦C)の開幕を2日後に控えた火曜日の晩のことだ。「(母親の瑞枝さんが)家に帰ると黄色い顔して寝込んでいた。それで翌日病院に連れて行ったら、『末期のがんで余命半年』と言われたんです」。

衝撃を受けるとともに、横田は「頑張らなきゃ」と一念発起。ブリヂストンの初日は8バーディ、1ボギーの「65」を叩き出す。しかし初優勝が、そう簡単に転がり込んでくるものでもない。結局この試合は10位タイに終わった。

デビューシーズンから2年連続のシード獲得を決め、迎えた1997年のシーズン。「4月19日に母親が死ぬときに『私が死んだら、あんた優勝するよ』と言ったんです」(横田)。チャンスは約1か月後の日本プロ(茨城・セントラルGC西C)でやってきた。初日から68-69-66と好スコアを並べトータル13アンダーで首位タイに並んだ。しかし最終日は「自滅の格好」で「76」を叩く。9位に終わり霊前に優勝を報告することはできなかった。

しかしこの経験が、次のチャンスで見事に生きる。9月の全日空オープンは初日に「68」で2打差2位の好スタート。2日目は母の余命宣告を聞いた直後のブリヂストン初日以来となる、「65」をマークして単独首位に立った。3日目は2バーディ、2ボギーのパープレーと、苦しみながらも秋葉真一とトータル11アンダーで首位に並んだ。

勝負の最終日。ここで横田は5月の日本プロで「緊張して失敗した」経験を生かし「とにかく少年時代を思い出して、楽しくやる」ことに徹する。「実は子供の頃、よく自分で自分のプレーを実況中継しながらやっていた。『さあ、横田、2メートルのバーディパット。難しいパットですね〜』なんてね。それを再現して、周りに聞こえない程度の、小さな声で呟きながらやっていた。自分を俯瞰して見ることが出来て、リラックスして出来たんです」。

東京都出身だが育ちは自然豊かな「高尾に近い八王子」。東浅川小学校時代は空き地でゴルフ大会。「トラックの資材置き場とか、ジャノメ(ミシン)のグラウンド、養鶏場の脇の300ヤードの空き地など、まあよく人んちでゴルフやってましたね。カップは缶カラです。神社の境内越えとか、グラウンドのサッカーゴール越えとかゴルフコースは4つぐらいありました。クラスの半分くらいは、僕のせいで『趣味はゴルフ』です。日曜日になると百円くらい出し合って、優勝賞品グローブとかにして、ゴルフコンペやってました。その時に、実況中継しながらやっていたんです」。

その記憶が最終日前半のプレーに生きた。2番で左の林に入れたが「ナイスボギー」(横田)で切り抜けると、3番からは怒涛の3連続バーディ。7番では「ポアナが混じっていて難しいグリーンだけど、ちょっと引っかかったのが、ガ・ガ・ガとスライスがかかって」カップに消えバーディ。9番でもバーディを奪い、アウトを32。通算15アンダーで2位に3打差をつけて折り返した。

12番でも右のバンカーに入れながら、1メートルにつけてこの日6個目のバーディ。ゾー・モウと尾崎健夫が猛追したが、横田との差を詰められない。しかし大詰めへと差し掛かると、初優勝の重圧が忍び寄る。

16番で右奥2メートルのバーディチャンスを決められず2パットのパー。17番ではティーショットを左の林にぶち込んだ。しかしこのピンチを切り抜ける。「残り130ヤードくらいを8番アイアンでうまく木の間を抜くことが出来て」2オンに成功。「でも1.5メートル、上からのパーパットはすごく緊張していた」。パットは見事に決まったものの、胸中は穏やかではなかった。「あれは自分でも、良く入ったと思う。(ラウンド)解説の青木功さんも17番グリーンで『横田、顔が白くなってきちゃったよ』と言っていたらしいですから」。

青木も、血の気の引いた横田の顔を間近に見て、重圧に苦しむ横田の心境を感じ取っていたわけだ。「ちょっと横田君がそわそわしてますよ。(パットが決まって)うれしいんだけど、ジェスチャーが出ないね。ハラハラしてるんだと思う」と18番に向かう横田の心境をおもんばかった。

だが横田はすさまじい重圧を感じながらも、最終18番のティショットできっちりとフェアウェイをとらえる。「目いっぱいこのホールをやろうと、切り替えたかもしれないね。思い切りがいいよ。2ストローク差(に迫られている)というのを、全然感じさせないショットだった」と青木も絶賛する1打だった。

こうなると追う立場のゾー・モウは苦しい。フェアウェイからの2打目を大きくプッシュアウトして、グリーンの右に外してしまう。それを見た横田は第2打を3段グリーンの2段目に手堅く2オン。ところが、祝福に駆け付けたツアーの先輩である丸山茂樹、深堀圭一郎、水城高校の後輩である片山晋呉らの前で手前10メートル弱のパットを、約1メートルもオーバーしてしまった。

そこからが、冒頭のワンシーン。このパットも、「刻まなきゃいけないのに(重圧から)手がパッと動いちゃった。(このパットが入らず)4パットだったらやばかった」とひやりとしながらも、ボールはカップに吸い込まれた。

「私が死んだら、あんたが勝つよ」という母の遺言が、わずか5か月後に実現した瞬間だった。この時の心境を、横田はこんな言葉で振り返った。「母親が、(優勝を)くれたんだな、と思いましたね」。(取材・構成=日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)

読まれています

JGTOツアー 週間アクセスランキング

ランキングをもっと見る

大会情報

  1. 国内男子
    開催中
    2025年12月4日 12月7日
    ゴルフ日本シリーズJTカップ
  2. 米国男子
    開催前
    2025年12月4日 12月7日
    ヒーローワールドチャレンジ
  3. DPワールド
    速報中
  4. DPワールド
    速報中
    2025年12月4日 12月7日
    ネッドバンクゴルフチャレンジ
  5. アマチュア・その他
    開催前
    2025年12月4日 12月8日
    LPGA Qシリーズ(最終予選)
  6. アマチュア・その他
    開催中
    2025年12月2日 12月5日
    JLPGAファイナルQT

おすすめコンテンツ

関連サイト