ALBA Net  ゴルフ
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「200号」記念の年となった平成7年(1995年)【雑誌「ALBA(アルバ)」で振り返る平成のゴルフ】

【主なできごと】阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件などが発生。野球では野茂英雄が米大リーグで、イチローが国内で大活躍。その他ゆりかもめ開業や、Windows95発売など。<br> 【賞金王/女王】<br> 国内男子:尾崎将司<br> 国内女子:塩谷育代<br> 米国男子:グレッグ・ノーマン<br> 米国女子:アニカ・ソレンスタム<br> 【平成7年に発行された号】 187号(平成7年1月12日発行)〜210号(平成7年12月28日発行)

配信日時:2019年3月20日 19時00分

200号記念となった平成7年7月27日号の表紙は尾崎将司。最新号である3月14日発売の768号まで、その歴史は続いている。
200号記念となった平成7年7月27日号の表紙は尾崎将司。最新号である3月14日発売の768号まで、その歴史は続いている。
ついに「平成」が2019年4月30日で幕を閉じる。
この30年、ゴルフ界もさまざまな出来事があった。

そこでALBA.Netでは、平成の30年間を走り続けてきたALBA.Netの兄弟メディアである雑誌「ALBA-TrossView(アルバ-トロスビュー)」で、平成のゴルフを振り返る。

ALBA.Netが誕生する前年、平成18年(2006年)までを当時の記事とともに振り返ろう。

アルバの表紙を飾った200の顔【ALBA 200号】

創刊号は1987年4月16日、表紙は“球聖”と呼ばれたボビー・ジョーンズ。

創刊号は1987年4月16日、表紙は“球聖”と呼ばれたボビー・ジョーンズ。

“ゴルフの流行も流れが早く、創刊当時(1987年)はパーシモンでマッスルバックのアイアンが主流であったのに今では、チタンにキャビティ。それにプロのボールは糸巻きだったのにツーピース。8年間でこんなに変化するとは、いったい誰が考えたでしょう。”

“打ち方もジャック・ニクラスのようなアップライトなスイングからフラットへ、パットも以前では考えられないクロスハンド。300号の頃には、何が流行しているもでしょうね。”

と、200号を振り返る内容でもゴルフ界の変化が感じられる。
創刊当初は海外プロの表紙が多い。日本人初の表紙は岡本綾子だった。

創刊当初は海外プロの表紙が多い。日本人初の表紙は岡本綾子だった。

日本ツアーの盛り上がりで、表紙も雑誌の内容も日本人がメインに。

日本ツアーの盛り上がりで、表紙も雑誌の内容も日本人がメインに。

スポーツ界のヒーローは40代

有名な選手ばかり。

有名な選手ばかり。

“ジョージ・フォアマンに、ジャンボ尾崎、さらには落合博満と、40歳代プレーヤーがやたらに元気だった94年のスポーツ界。あらためて見てみると、40過ぎでも一線で活躍している選手がけっこういる。一流選手がこれだけ頑張っているんだから我々だって負けてはいられないゾ”

この年のスポーツ界では40代の活躍が目立ったということで、「課長さん、もっとガンバリましょうよ!」と読者へ呼びかける内容だ。紹介された選手たちは下記のとおり。

▼ゴルフ:ジャンボ尾崎(当時47歳)
メジャー制覇に向かって邁進する無敵のゴルファー

▼野球:落合博満(当時41歳)
41歳にして三冠王を口にする天才スラッガー

▼モータースポーツ:星野一義(当時47歳)
自分を信じて走り続ける日本最速レーサー

▼アーチェリー:松下和幹(当時41歳)
練習量でトップをキープする世界のアーチャー
ジョージ・フォアマンは今年70歳になった。

ジョージ・フォアマンは今年70歳になった。

▼競馬:岡部幸雄(当時46歳)
馬との出会いを大切にする通算2000勝の名ジョッキー

▼レスリング:藤原喜明(当時45歳)
闘争心は誰にも負けない!獲物を追い続ける真の格闘家

▼ボウリング:堅本幸作(当時46歳)
日本ボウリング界を支える選手歴21年の大ベテラン

▼ボクシング:ジョージ・フォアマン(当時45歳)
夢を現実のものとした史上最年長チャンピオン

▼砲丸投げ:室伏重信(当時48歳)
40歳と363日でアジアを制した“鉄人”

トーナメントでもこんな演技がほしいネ「役者やの〜」

「ジャンボと言って思い出すのは何?」という質問で、宝くじの次に多かったのがジャンボ尾崎。

「ジャンボと言って思い出すのは何?」という質問で、宝くじの次に多かったのがジャンボ尾崎。

“何の気なしてみているつもりでも結構記憶に残ってしまう…。そんなTVコマーシャルに出演しているのは、なにも有名なタレントや美人モデルだけじゃない。僕らの応援するプロゴルファーも出ている!”

今とは違い、たくさんのプロゴルファーがテレビCMに出演していた時代、誌面ではプロたちの表情を大公開していた。
今ではあまり考えられないプロゴルファーのCM出演。

今ではあまり考えられないプロゴルファーのCM出演。

男子は、ゴルフ界では知名度ナンバーワンの尾崎将司、真面目なイメージの中嶋常幸、元気いっぱいの若々しさだった倉本昌弘、ワールドワイドな青木功、丸山茂樹、尾崎直道、藤木三郎、高橋勝成、湯原信光、杉原輝雄、そしてゴルフ界のエンターティナー芹澤信雄など。

女子は、女子プロ界のスパーアイドルと言われた松澤知加子、フレッシュな魅力いっぱいの山本祥子、小林浩美、岡本綾子。

1995年のゴルフフェア

最新ゴルフウェアによるファッションショーはこの時が初登場だったという。

最新ゴルフウェアによるファッションショーはこの時が初登場だったという。

平成7年(1995年)のゴルフフェアは第29回、場所は晴海の東京国際見本市会場。AONをはじめ30名ほどのプロゴルファーが来場し、例年以上に華やいだという。これは当時選手会長だった倉本昌弘の力によるところが大きかったようで、

「僕らプロゴルファーはもっとファンの皆さんとコミュニケーションの場を持たなければいけない。クラブだって使っている立場からすれば僕らが一番知っているわけだから、アマチュアの皆さんにもいろいろなアドバイスができるはずだからね」と語っていた。

’95 ファッション流行通信

90年代初頭は紫カラーをよく見る印象がある。

90年代初頭は紫カラーをよく見る印象がある。

“90年代に入り、モノトーンが流行色の中心になっていたが、エコロジーブーム影響で服の素材に麻などが使われると、ベージュなどのナチュラルカラーが流行した。”

と書かれており、流行色には社会的な事項が大きく反映していると言える。

ちなみにこの年の流行色は定番カラーの「白・黒・紺・赤」という、ものすごく普通の内容だった。
海外プロから日本の男子プロまで。

海外プロから日本の男子プロまで。

大きめのサンバイザーのこの時代の特徴か。

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主なゴルフウェアブランド32種類の価格表。今も馴染みのあるブランドも。

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