森口が育った岐阜関カントリー倶楽部(岐阜県)で繰り広げられた勝負には、様々な要素が絡み合っていた。
高校卒業後、プロゴルファーを目指すことにした森口が研修生時代を過ごしたのが、まさにこのコース。井上清次プロに弟子入りする際、面接で「樋口久子を倒すか?倒せるか?」と聞かれ「ハイ。倒せます」と答えた話はあまりにも有名だ。
「高校3年生12月最後の日曜日でした。プロテストも受かっていないのに、その頃最強だった樋口さんを倒せるか?って聞かれて…。でも、先生の情熱とか、いろんなものを感じて『はい』って答えてたんですよね」とその時は今でもはっきりと記憶している。このシーンが、ナショナルオープン開催が決まった時にはよみがえっていた。
当然、重圧も感じていた。「いつ(開催が)決まったのかよく覚えていないんですけど、先生に『オイ、岐阜関で日本女子オープンやるぜ』と言われたときには正直イヤだな、と思いました。重いな、って」と打ち明ける。
もう一つ、当時は口にしていなかったのだが、個人的に背負っているものも大きかった。ゴルフをすることを進めてくれた父、生幹氏が、白血病で余命宣告を受けたばかりだったのだ。「本人は知りませんでしたが、余命半年と言われていました。(試合を)ものすごく楽しみにしていたのに無菌室に入院しなくては行けなくて見に来られない。主人(医師の関谷均氏)と話している時に『人間の自然治癒能力はすごいから、興奮したりすると生きる力が付くことはある。それをお父さんに与えるとしたら今週だよな』と言われ。相当なプレッシャーがありました」。
前週のミズノオープン2位と調子は悪くなかったが、谷福美にプレーオフ負けを喫している。バンカーショットがうまくいかなくて勝てなかったため、地元に戻って師匠に会いに行くときは「怒られるんだろうな」と思っていた。
ところが、プレーオフ負けを報告すると、意外な答えが返ってきた。「おめぇ、良かったな。運を使ってねぇぜ」。そういう考え方もあるのか、と驚いた。
そんな事情の中で幕を開けた初日は7アンダー。谷に3打差の単独首位に立った。ところが2日目には13番でトリプルボギーを叩くなどして4つスコアを落として3アンダー。初日の貯金で首位は保ったものの、2位の樋口、木村敏美との差は3打となった。
3日目は2バーディ、2ボギーでトータル3アンダーをキープ。樋口、葉蔚芳とは4打差で最終日を迎えることになる。
前半、1バーディ、4ボギーとスコアを落とした森口に、まず迫ったのは葉だった。8番バーディで1オーバー。11番でこの日5つ目のボギーを叩いた森口は並ばれてしまう。13番のボギーで首位を明け渡す苦しい展開だ。
だが、14番で森口は息を吹き返す。緊張で足が止まってしまい、左のバンカーにつかまるが、左に切られたピンに対しては、グリーンの右に乗せただけでは難しい。案の定、森口はパーセーブ、葉は3パットボギーとし、2オーバーで再び首位に並んだ。
続く15番は「手前のサブグリーンの奥にグリーンがあって、距離感を惑わせる形状のホール。ティショットを右目に打って、サブグリーンを利用した方がピンに寄せやすいのはわかっていました」と、地の利を利用した森口はバーディ奪取。葉はボギーで差は2打に広がった。樋口との差も2打で残り3ホールの大詰めを迎えた。
16番のティショットは、フェアウェイにある取水口のヘリにボールが止まる。スタンスが取水口にかかれば救済が受けられるため競技委員を呼んだ。すると、左足下がりでオープンに構えるため、ギリギリでスタンスは取水口にかからないことがわかった。「このままいきます」と、難しいライから打ったボールは「ちょうどロフトが立ちながら飛んでいく感じになってバンカーを越えていった」(森口)と、OKバーディ。1アンダーだ。ボギーが続く葉とは5打差になったが、樋口はバーディ。3打差で最終ホールを迎えた。
18番のティグランドで襲ってきたのは強烈なプレッシャー。「勝ちたい、勝てるかも、勝つんだ〜という気持ちで、体が全然動かず、どうやってボールに当てるかわからないみたいになってド天ぷらを打ってしまった」という大ピンチ。2打目は右手前の「絶対に入れてはいけない」(森口)バンカーで、ボギーフィニッシュとなったが、それでも出場選手中ただ一人のイーブンパー。樋口、黄ゲッキンに2打差をつけて、優勝が決まった。
2位に樋口を従えての優勝を、師匠の目の前で飾った愛弟子。その表彰式で降り出した雨に、傘を持ってやってきた師匠は、優勝カップにそれを差し掛け「これは汚しちゃいけねぇ」とつぶやいてタイトルの重さを弟子に再認識させた。
この“でき過ぎた“優勝劇をテレビで見ていた父は、半年の余命宣告よりはるかに長い13年の歳月を、この先、過ごすことができたと言う。師匠への恩返しだけでなく、父への大きなエネルギーを送ることができた忘れられない名勝負となった。(文・小川淳子)