【第2回】米国合宿で訪れた新しいロードマップ
村田理沙はプロテスト合格に涙【写真】
ここまでゴルフを続けている理由を聞かれることがあります。
もちろん8歳で始めたゴルフは楽しいですが、それだけでは生活をしていけません。私がプロテストに合格したのは21歳のとき。多くの人が社会に出て仕事をし、自らの手で稼いで生活しているように、その瞬間から私の中でのゴルフは「職業」第一となりました。私の歩むべき道は「仕事ができる人間=しっかり稼げる人間」だと考えています。
前回は私が2016年のプロテストに合格したものの、同年と2017年のQTに失敗し、日本での試合の場が狭まったところまでお話しさせていただきました。ゴルフを「職業」と考えるのであれば、これは死活問題であり焦らないはずはありません。
2018年1月末、前年から参加しているコーチ主催の米国合宿がありました。仕事の場を失っている私に対し、こんな提案があったのです。
「だったら、こっち(米国)でプレーすることも視野に入れればいい。夏からシメトラツアーのファーストQT(向こうではQ-SCHOOLと呼びます)があるから受けてみれば?」
8月以降に出られるステップ・アップ・ツアーは1試合しかないし、シメトラツアーのファーストQTは8月だから日程的にも問題はない。正直、シメトラツアーがどんな環境下にあり、どんなレベルアップができるかも理解していない。でも、深く考えても前進はできないし、だったらチャレンジしてみようと受験の手続きを進めた自分がいました。親に相談? まったくしなかったですね(笑)。
迎えた8月、いざ出陣! 場所はカリフォルニア州にあるミッションヒルズCC(アーノルドパーマーコース、ダイナショアコース)、シャドーリッジGCの計3コースを使い、何と336人が出場です。その中で私は初日73、2日目71、3日目72、最終日74の通算1オーバー、33位タイでセカンドQT進出権を獲得。
そのセカンドQTはフロリダ州のプランテーションG&CC(パンサーコース、ボブキャットコース)が舞台。結果は76、80、75、73の151位タイ。ファイナル進出は逃す結果となりましたが、それでも限定的ながら米下部のシメトラツアーにはチャレンジできる権利を得たのです。
このときの気持ち? 最初に思ったのは「ふがいない」でした。セカンドQTはまったく納得いかないゴルフ。私の現在地はこんなものかと落ち込み、だったら受験を決めた頃とは異なり、環境を変えてシメトラツアーでチャレンジしようという、より強い気持ちが出ました。
一方で私を応援してくれるファンやスポンサーさんがいる。日本での露出が少なくなれば迷惑をかけてしまう。ですので帰国後はスポンサーさんに頭を下げ、「ここで一度、1年間チャレンジさせてほしい」とお願いをしたのです。
上に行くなら環境を変えてみよう――。年明けから私の新しい挑戦が始まることになりました。
※同連載は週1回の更新で、全8回を予定しています。
■村田理沙(むらた・りさ)
1995年6月22日、東京都三鷹市出身。身長161センチ、体重52キロ。祖父母の影響で8歳からゴルフを始めた。杉並学院高校(東京都)から山梨学院大学(山梨県)に進学したが中退し、まずは日本のプロテストに専念。3回目の2016年7月29日に合格し、晴れて正式な女子プロゴルファーとなった(88期生)。2019年には米国下部「シメトラツアー」でプレー。帰国後に日本のQTを受け99位の成績だったことから、今年はステップ・アップ・ツアーを主戦場としている。アメリカ人の父と日本人の母を持つ美人プロとしても有名。ゼビオホールディングス所属。
