避難所で炊き出しを行う石川遼【写真】
こうして開幕戦が終わった翌日は、奇しくも3月11日。いうまでもなく、東日本大震災から8年という特別な日だった。東日本を大きな揺れが襲った午後2時46分に黙とうした人だけでなく、多くの人が「あの日」を思い出し、様々ことを考えたはずだ。歳月とともに、日ごろは忘れかけていたことにも気が付いたろう。
金曜日だったあの日。女子ツアーは、シーズン2戦目の「ヨコハマタイヤ PRGRレディス」初日だった。会場は、東日本とは遠く離れた高知の土佐CC。直接、地震そのものの影響はなかったが、大会は中止となった。原発事故の影響もあり、情勢を鑑みてその後の3試合も中止。被災地出身の選手が、遠方のプロ仲間の家に避難したりしたこともあった。
あの時、プロたちから何度も聞いたのが「ゴルフなんかしていていいのだろうか」という言葉だ。甚大な被害と犠牲者の数、その後も、避難を続ける大勢の人たちを前に、エンターテイメントとしてのプロスポーツの在り方を考えた者も多かった。ツアー再開後には、チャリティ活動も数多く行われた。
その5年後、熊本地震が起きた。この時は、ツアーが熊本開催だったこともあり、選手を中心にした関係者の多くが恐怖と不便さを肌で体験している。プロの中には、熊本出身者も多く、今でもチャリティ活動を熱心に行っている。もちろん、この時も「元気な姿を見せて」といわれ、プロアスリートの役割を再確認した選手たちが多かった。