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【石川遼・復活優勝へ】“プレーへの情熱”失わずに初優勝を挙げた石川遼世代
【石川遼・復活優勝へ】“プレーへの情熱”失わずに初優勝を挙げた石川遼世代
配信日時: 2018年3月1日 00時36分
話しをキャントレーに戻す。3カ月の療養を経るも、明確な治療法が見つからないまま痛みに耐えて8月に復帰。翌シーズンの出場資格を懸けた入れ替え戦を何とか11位で終了。ツアーカードを手に入れたが、13-14年シーズンに出場できたのはたった5試合。14-15年シーズン、唯一出場した「OHLクラシックatマヤコバ(2014年11月)」を最後にツアーから姿を消した。当時のことを振り返り、「たくさんの医者のもとを訪ねた。ドイツまで行ったこともある。一番苦しかったのは、練習さえもできないことだった」と、一向に改善しない症状に心をふさいだ時期もあった。16年2月には自身の親友でもあったキャディを目の前のひき逃げ事故で失った。
心身ともに「どん底にいた」キャントレーだったが、それでも失わなかったのが「プレーへの情熱」。「“いいプレーをしたい”という気持ちは、ずっと変わっていない」と、周囲のサポートを受けながらトレーニングやスイングの微調整を続けた。
石川遼もプレーへの情熱を失うことはなかった。日本ツアーにスポット参戦すれば優勝する力はある。日米ツアーの差だけでは片づけられない。米国で勝つ、マスターズで勝つという目標を持ち続けているからこそ、情熱を失うことなく、復活への道を常に探っているのだ。それが日本であれ、米国であれ。
キャントレーがようやくプレーできるようになったのが、17年2月の「AT&Tペブルビーチプロアマ」。公傷制度の適用で10試合の出場が保障されていたが、それ以降も参戦するには同大会以降の9試合で約61万ドルを獲得することが必須だった。その状況で挑んだ復帰後の第2戦「バルスパー選手権」で、単独2位に入って約68万を獲得。ケガと戦いながら挑んだ同シーズンは出場13試合中、4度のトップ10入りを果たして徐々に自信を取り戻した。同年11月の「シュライナーズホスピタルforチルドレンオープン」でつかんだ、初の優勝カップ。「決して諦めなかった」と、執念のツアー初優勝を手に入れた。
そんな選手の復活物語を見ると、石川の姿をどうしても重ねてしまう。順風満帆なプロスタート。若くして注目を浴びたのも同じだ。将来を有望視されたのも一緒。石川は米国ツアーで5年間戦ってきた。つまずくたびに立ち上がってきた石川。同世代のキャントレーに続き、再びはいあがるために。ゴルフへのあふれる情熱を今年も見せてくれ、悲願の米国優勝への道を切り開くことができるはずだ。
心身ともに「どん底にいた」キャントレーだったが、それでも失わなかったのが「プレーへの情熱」。「“いいプレーをしたい”という気持ちは、ずっと変わっていない」と、周囲のサポートを受けながらトレーニングやスイングの微調整を続けた。
石川遼もプレーへの情熱を失うことはなかった。日本ツアーにスポット参戦すれば優勝する力はある。日米ツアーの差だけでは片づけられない。米国で勝つ、マスターズで勝つという目標を持ち続けているからこそ、情熱を失うことなく、復活への道を常に探っているのだ。それが日本であれ、米国であれ。
キャントレーがようやくプレーできるようになったのが、17年2月の「AT&Tペブルビーチプロアマ」。公傷制度の適用で10試合の出場が保障されていたが、それ以降も参戦するには同大会以降の9試合で約61万ドルを獲得することが必須だった。その状況で挑んだ復帰後の第2戦「バルスパー選手権」で、単独2位に入って約68万を獲得。ケガと戦いながら挑んだ同シーズンは出場13試合中、4度のトップ10入りを果たして徐々に自信を取り戻した。同年11月の「シュライナーズホスピタルforチルドレンオープン」でつかんだ、初の優勝カップ。「決して諦めなかった」と、執念のツアー初優勝を手に入れた。
そんな選手の復活物語を見ると、石川の姿をどうしても重ねてしまう。順風満帆なプロスタート。若くして注目を浴びたのも同じだ。将来を有望視されたのも一緒。石川は米国ツアーで5年間戦ってきた。つまずくたびに立ち上がってきた石川。同世代のキャントレーに続き、再びはいあがるために。ゴルフへのあふれる情熱を今年も見せてくれ、悲願の米国優勝への道を切り開くことができるはずだ。