20代前半は海外にも積極的に参戦した池田 石川遼とガッチリ握手
選手会長職との2足のわらじを履いた3年間は、選手の先頭に立ってトーナメント外でも奔走した。試合の合間を縫って主催者などに会うために全国を飛び回る日々。ツアー転戦を続けるプロゴルファーの束の間の休息の時間でもあるトーナメント明け月曜日のスケジュールも、ほぼオープンになることはなかった。
就任1年目の2013年には「マイナビABCチャンピオンシップ」を制して2001年の片山晋呉、08年の宮本勝昌以来の選手会長在任中の優勝を飾った。「今年は勝てないかと思っていた」とグリーンに落とした大粒の涙が、会長としての激務を物語っていた。
「若輩者の私が3年間で試合数を30試合にするという目標を掲げて始めたわけですが、社会状況など身にしみた3年間でもありました。できることからやろうと突っ走ってきたけど、なかなか成果を出せなかった。本来なら5年、10年と時間をかけてゴルフ界を変えていかなければ」。
選手会長としてやり残したことは確かにある。だが、来季は国内25試合、海外3試合の28試合を予定する男子ツアー。目標に届かずとも、導いた試合数増は確かに池田の残した実績だ。