日本プロゴルフ殿堂入りをした陳清波【写真】
16歳から台湾の名門クラブ・淡水GCで働き、22歳でプロ転向。59年の「日本オープン」で初優勝を飾ったのを皮切りに、多くのタイトルを獲得した。レギュラーツアー13勝、シニアツアー4勝、グランドシニア12勝。海外では63年から6年連続でマスターズに出場してすべて予選を通過し、最高順位は63年の15位。ほかに全英オープン2回、ワールドカップには台湾代表として11回出場など数々の戦績を残している。
60年「日本オープン」では、珍しい形で連覇を逃している。最終日2位に3打差をつけてホールアウトしたものの、スコアを過少申告して失格。最後の最後で、それもある意味不名誉な形で優勝を手放したわけだが、その後の活躍もあって今では笑い話になっているという。
美しく流れるようなスイングでショットメーカーとして知られている。なんでも、ゴルフを覚えた淡水GCが、フェアウェイが雑草ばかりで打ち込まないとボールが上がらなかったので、自然とダウンブローが身についたという。そんな自身のゴルフ理論をまとめた「近代ゴルフ」(1960年発行)は多くのゴルファーのバイブルとなり、「ダウンブロー」という言葉を日本に定着させた。
2015年に日本プロゴルフ殿堂入り。その際には、「何とも申しあげられないほど感謝している。日本に来てよかった」と、感慨深げに話していた。78年に帰化し、日本名は清水泰行。
