松山は、ノンメンバーとしてスポット参戦した2013年は、石川のように「STM→10試合→ルーキー」という道を進んだわけではなかった。が、この年の途中、米ツアーがルーキーの定義をさらに変更したため、ノンメンバーであっても一定以上の条件(メンバーの125位以上に相当するフェデックスカップポイントあるいは賞金)を満たした時点で「ルーキー」とみなされることになり、松山も遡って2013年が彼のルーキーイヤーとみなされた。つまり、初優勝を挙げた2104年は彼はすでにルーキーではなくなっていたのである。
ルーキー・オブ・ザ・イヤーの受賞のチャンスは一生に一度しかめぐってこない。それなのに日本人2人が2人とも、結果的に米ツアーの規定変更の煽りを食って貴重なチャンスを失う形になった。それは、たまたまそういう巡り合わせになってしまったのだろうけれど、やっぱり残念ではある。
今でも忘れない、2013年の春、「今年はルーキーなので、いろんな試合に出てみたい」と語った石川に「実はもうルーキーではなくなっている」とこっそり告げたとき、彼はしばし絶句した後、「そうなんですか。残念ですねえ」と悔しそうに言った。
昨季最終戦のツアー選手権が終了した後、選手たちにはプレーヤー・オブ・ザ・イヤーとルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票のための書類等が配られた。松山はそれを見て自分の名前がルーキー・オブ・ザ・イヤー候補の中に含まれていないことに気づき、「入ってないっすね」と、そのときは残念そうにしていたのだそうだ。
ルーキーの定義を年々変更していった米ツアーは。その後もあらゆる面から進歩と成長を図り、どんどん姿を変えている。石川も松山も、そんな米ツアーの過渡期に遭遇してしまったわけで、それは良くも悪くも2人の運命、宿命と思うべきなのだろう。