クーチャーの考え方はいつもこのスタイルだ。先週のクラウンプラザ招待で惜敗したことも、悔しいと思うのではなく、「先週、優勝争いの感覚を得られたことが今週の優勝争いを乗り切る助けになった」と感謝していた。
そのときそのときの結果はアスリートにとって最も大切ではあるけれど、惜しくも負けたことも、ボロボロに崩れて負けたことも、ドン底と思えるところまで落ちたことも、すべてが未来の結果につながっていく。いや、つなげていくことができる。しかも笑顔で。それがクーチャーの最大の強さなのだと私は思う。
石川遼にも、そんな強さが少しずつ身に付き始めている。正式メンバーとして米ツアーに出始めた今季序盤の彼は、優勝の二文字を切望するあまり、結果が出ない「冬の時代」を受け入れることができなかった。
予選2日間のどこかでスコアを落とし始めると、自ら予選落ちへの道を加速してしまうようなプレーぶりになり、予選通過を果たしても、下位に沈むと「優勝からほど遠いところでプレーしていても、得られるものはあまりない」と言い放った。その様子からは「こんな位置は僕の居るべき場所じゃない」と思っているであろうことがあからさまに見て取れた。
だが、半年が経過し、石川はようやく今の自分の居場所を知り、次なる居場所の目指し方を覚えた。「毎週、予選を突破できるようになって、あともう1〜2段階、上がるためには、アプローチとパッティングかな」。