そう考えると、たとえ、今回のような事件が起こったとしても、QTだろうがプロテストだろうが、プレーを見守る人間がいるのはごく自然なことだ。なぜ、禁止しなければならないのか。もちろん禁止するための理由は、いくらでも見つかるだろう。
「プレーヤー以外が入ると安全が確保できない」「コースが嫌がる」「身内がアドバイスをするかもしれない」「ボールをいいところにけり出してしまうかもしれない」。だが、それを言い出したら、ゴルフの競技など成立しなくなる。広いコース内に誰も見ていない場所などがいくらでもあるのだから。興行でなければ、コース内に入る人間の安全確保は自己責任にすればいい。インチキが行われるかどうかについては、考える必要もないだろう。性善説に基づいたルールの中でプレーするのが大前提のゴルフ。それを、衆人に見られるという特殊な状況でやるのがプロだということを改めて考えたほうがいい。
今回の事件の後、米女子ツアーが何か対策をとるかどうかはわからない。だが長い間、米女子ツアーはQTでも当たり前にコース内で応援できたし、取材もできた。それをやめる方向に行くとはとても思えない。
日本では、トップレベルのアマチュアの競技も、相変わらずチーターが多いと聞く。親や指導者にスコア至上主義で育てられ、スコアが悪いと怒鳴られれば、そうしたくもなるだろう。だが、それはゴルフとは似て非なるものだ。それをさせてしまう大人の罪はさらに重い。チェンの事件を聞いて、ゴルフの本質を改めて考え、それとは違う方向に行きかけている一部の現実を憂う。それと同時に、それでもコースを開放している米国から学ぶべきことは多いと実感した。上っ面や賞金額ではなく、本質的な部分に目を向けることが求められている。(文・小川淳子)