ジャンボとの名勝負! 強敵撃破のすえに掴んだトロフィー【写真】
群馬県出身。父の英才教育を受けて「日本アマ」を制すまでの力をつけると、75年に21歳でプロ入り。翌76年「ゴルフダイジェスト・トーナメント」でプロ初優勝。77年には、戦後最年少で「日本プロ」を制した。82年は、青木功の5年連続賞金王を阻止して初の賞金王獲得。85年には年間獲得賞金1億円を突破し、3度目の賞金王に輝いた。80年代は、青木、尾崎とともに優勝を重ね「AON」時代を築いていった。
海外メジャーの4大大会すべてでトップ10入りをした初めての日本人選手で、数々のエピソードを残している。78年の「マスターズ」ではアーメンコーナーの出口となる13番でクリークに2度つかまり「13」を叩いた。同年にセントアンドリュースのオールドコースで行われた「全英オープン」では、3日目の17番でバーディパットがオーバーし、バンカーへ。脱出に4打を要したことから、後にこのバンカーは「トミーズバンカー」と呼ばれるようになった。
04年からはシニアツアーに参戦しながらも、06年には52歳でレギュラーツアーでも優勝。シニアとしては「日本シニアオープン」と「日本プロシニア」で優勝を遂げ、これによりアマ時代からの日本タイトルは6冠となった。後進の育成にも力を注ぎ、主宰するアカデミーからは畑岡奈紗らを輩出している。
