青木功の“タメ”は半端ない 全盛期のスイングを解説【連続写真】
1964年にプロ入りし、71年の「関東プロ」で初優勝。尾崎将司とともに70年代の「AO時代」、中嶋常幸を加えた80年代の「AON時代」と、常にツアーの中心にいた。76年に初の賞金王の座につくと、78年からは4年連続と通算5度の賞金王に輝いている。
海外でも第一人者として結果を残してきた。80年の「全米オープン」では、ジャック・ニクラス(米国)と4日間72ホールをともにし、後に“バルタスロールの死闘”と呼ばれることとなる名勝負を展開。また、83年の「ハワイアンオープン」では、最終日最終ホールで第3打を直接入れるイーグルを奪い、日本選手初の米ツアー制覇など日・米・欧・豪の世界4大ツアーで優勝する快挙を達成している。
92年のシニア入り後も、米シニアのPGAツアー・チャンピオンズに参戦し9勝を挙げた。国内シニアツアーでは94年から「日本シニアオープン」を4連覇。07年には最終日にエージシュートとなる「65」をマークして「日本シニアオープン」を10年ぶりに制している。
これまで挙げた勝利は、日本ツアー51勝、米ツアー1勝、欧州ツアー1勝、日米のシニアツアーで9勝ずつ、その他後援競技なども含めると「90」を数える。2004年に日本人男性としては初の世界ゴルフ殿堂入り。08年紫綬褒章受章、13年日本プロゴルフ殿堂入り。15年秋の叙勲では旭日小綬章を授与される栄誉に輝いた。16年にJGTOの会長に就任。ゴルフ界の発展に尽力している。
