「近隣のゴルフ場が閉場したせいで利用者が回ってきたのもあるのです」。大変な時期に利益が保てたとはいえ思いは複雑で、そこまで明るかった小野さんの声のトーンも落ちた。
震災当日は100人ほどがプレーの真っ最中、クラブハウスが揺れるのを利用客が、「豆腐が揺れているみたいだった」と表現するほどの揺れが襲った。幸いケガ人はなかったが、地割れや、地割れに伴う大きな池の水が流失などこれまで見たことのない光景に言葉を失ったという。「全体的にコースは傾いたと思いますよ。海の方へ地面が引っ張られ、グリーンの傾斜も変わったのではないでしょうか」。その後、福島第一原発の爆発のニュースをテレビで見ていて、「福島、終わった。ゴルフ場も終わった」と思ったという。
被害はこれだけにとどまらず、1カ月後の4月11日に起きた浜通りを震源とする地震が追い打ちをかける。クラブハウスの天井が落ち、シャンデリアも破損した。「心底がっかりでした」と話す小野さんだが、利用客に鼓舞されることもあった。風呂に入れない地域住民やボランティアにゴルフ場の温泉施設を無料提供していたところ、利用者らからプレーできないか問い合わせが相次ぎ、コースやクラブハウスの修復をしながらの仮営業を行うことに。クラブハウスが直る6月くらいまで、ハーフのみなど簡易営業を続けた。
「震災でのストレスを抱えている人も多く、ストレス発散の場にも貢献したかったのです。そばやカレーなど立ち食いのような感じにはなりましたが、ほっとできる時間も取ってほしいと食事も用意していました」。ほかにも、地元の幼稚園や小学校にコースを遠足の場として利用してもらい、芝生で遊んだりパターごっこなどをしてもらったり、子どもたちがのびのびと過ごすのにも一役買った。
ホームページに放射線量を出し、都内と比べても安全なことなどをアピールしながらこれまで営業を続けてきた。10年が経った心境は、「今はコロナですよ、震災は過去のことです」。昨年はコロナ禍で大口のコンペが中止になったり、苦戦を強いられることも多かったが、ことし10月にはシニアツアー「ISPS ハンダグレートに楽しく面白いシニアトーナメント」が予定され、大会会場として福島を盛り上げる。