青木功の“タメ”は半端ない! とんでもない化け物だった【連続写真】
10歳で自宅近くの千葉・我孫子ゴルフ倶楽部に出入りするようになりゴルフと出合う。そして小学校を出てから、同コースでキャディとして働き出した。第二次世界大戦で徴兵されたが、戦後最初の開催となった1948年の「関東プロ」で初優勝を飾った。
直後に行われた宮本留吉、中村寅吉、戸田藤一郎とのエキシビションマッチでの“空振り”は、今でも語り草となっている。インサイド・アウトの軌道でフックを打っていた林は、左足下がりのライから、なんと空振りをしてしまう。そして、宮本からグリップの持ち方でフック、スライス、ストレートを打ち分けることを教わり、その後、左足下がりのライで猛練習。フック一辺倒だった林が、フェードボールを覚えたことで、さらに勝利を重ねていった。
その後の活躍から、プロを志す若者が林の元に集まりだし、その教え子が「我孫子一門」と呼ばれるようになる。「笑われて伸びる」、「技術は盗むもの」という経験からの持論を、門下生にも徹底させたという。
