ALBA Net  ゴルフ
ALBA Net  ゴルフ

ペイン・スチュアートが自家用ジェット機で移動中に墜落死した平成11年(1999年)

【主なできごと】石原慎太郎氏が東京都知事に。だんご3兄弟が大ヒット。ミレニアムのカウントダウンが世界各地で催された。<br> 【賞金王/女王】<br> 国内男子:尾崎直道<br> 国内女子:村口史子<br> 米国男子:タイガー・ウッズ<br> 米国女子:カリー・ウェブ<br> 【平成11年に発行された号】 283号(平成11年1月14日発行)〜306号(平成11年12月23日発行)

配信日時:2019年3月28日 17時00分

ついに「平成」が2019年4月30日を最後に幕を閉じる。
この31年間、ゴルフ界もさまざまな出来事があった。

そこでALBA.Netでは、平成の30年間を走り続けてきたALBA.Netの兄弟メディアである雑誌「ALBA-TrossView(アルバ-トロスビュー)」で、平成のゴルフを振り返る。

ALBA.Netが誕生する前年、平成18年(2006年)までを当時の記事とともに振り返ろう。
1999年(平成11年)に発行された記念の300号は、2000年の米国ツアーシードを獲得した丸山茂樹が飾った。

1999年(平成11年)に発行された記念の300号は、2000年の米国ツアーシードを獲得した丸山茂樹が飾った。

日本プロゴルフ協会(PGA)から独立して日本ゴルフツアー機構が設立 ALBA286号

平成11年(1999年)の2月に日本プロゴルフ協会からツアー部門が独立する形で、日本ゴルフツアー機構が設立された。

この新組織は日本プレーヤーズクラブ(JTPC)、主催者とスポンサーで作る日本ゴルフトーナメント振興協会(GTPA)、ツアーオブジャパンの3つの団体から構成された。米国にならい、より世界に通用する強い選手を育成するためにPGAから独立することとなった。

メタルスパイク禁止コースが続々…ソフトスパイクが主流に ALBA290号

当時、米国ではメタルスパイク禁止のコースが5,600コースにもなり、ソフトスパイクが主流となっていた。その流れに日本もようやく乗り出したのが平成11年(1999年)。

当時の本誌では、メタルスパイクはグリーンだけでなくクラブハウスの床や階段にもキズをつけてしまったり、人の足やクラブを踏んでしまった場合は凶器になることを注意喚起しており、ソフトスパイクを推奨していた。

往年の名プレーヤー、ジーン・サラゼンが死去 ALBA293号

史上初のキャリアグランドスラムを達成した名プレーヤー、ジーン・サラゼンが亡くなったのは平成11年(1999年)の5月13日。

享年97歳だったサラゼンの死を悼み、ゴルフ解説者でおなじみの戸張捷氏をはじめ、サラゼンの名を冠したトーナメント「ジーン・サラゼン ジュンクラシック」で優勝経験のある青木功と尾崎直道が、ありし日のエピソードを語った。

今田竜二が全米大学王座とオールアメリカンのW獲得 ALBA296号

当時、ジョージア大学2年生だった今田竜二がアメリカで偉業を成し遂げた。

全米大学ゴルフ選手権団体でチームを逆転優勝に導き、さらにオールアメリカンを獲得。同年に今田は大学を中退して、米国ツアーで戦うプロへと転向。2008年PGAツアーで1勝、2000年と2004年にウェブドットコムツアーで2勝の成績を残している。

“天才”タイガー・ウッズを“神の子”セルジオ・ガルシアが猛追 ALBA296号

1999年(平成11年)の全米プロゴルフ選手権で、“天才”タイガー・ウッズを1打差まで猛追したのは当時19歳の“神の子”セルジオ・ガルシア。

同年にマスターズでベストアマに輝き、プロに転向した後、欧州ツアー「アイリッシュ・オープン」で初優勝。さらに同年「リンデ・ドイツ・マスターズ」で2勝目を挙げる勢いあるガルシアが世界中から注目されていた。

丸山茂樹が2000年の米ツアーのシード権を獲得 ALBA301/305号

丸山茂樹が1999年(平成11年)の8月に開催された「WGC NECインビテーショナル」で単独6位に食い込み、米ツアー獲得賞金が40万ドル(当時の換算で4,600万円)を超えたことで、Qスクール抜きでシード権を獲得した。

305号では、丸山の世界に通用するスイング作りの原点を特集。幼少期の頃にあえてゴルフをさせない道を選んだ、父親の教育方法も紹介されている。

ペイン・スチュアートが自家用ジェット機で移動中に墜落死 ALBA304/305号

1999年(平成11年)の全米オープンの覇者、ペイン・スチュアート(享年42歳)が1999‐2000年シーズン最終戦「ツアーチャンピオンシップ」に自家用ジェット機で向かう途中、ジェット機の不具合で墜落死するという悲劇的な事故が起こった。
スター選手の不慮の事故に、ゴルフ界だけでなく世界中が悲しみに暮れた。

スチュアートが参戦する予定だった「ツアーチャンピオンシップ」では、彼のトレードマークであるニッカーボッカを着て試合に出場するアーニー・エルスやフィル・ミケルソンら選手の姿が多く見られた。

タイガー・ウッズが2年ぶり2回目の賞金王の座に就く ALBA305号

タイガー・ウッズが2年ぶりに賞金王の座に就いた同年。復調した理由は、近視を矯正する手術を受けたことがカギのよう。

翌年の平成12年(2000年)には全英オープンで優勝して、グランドスラムを達成するほど絶好調だったタイガーにとって、この手術は大成功だったといえるだろう。

読まれています


おすすめコンテンツ

関連サイト