この31年間、ゴルフ界もさまざまな出来事があった。
そこでALBA.Netでは、平成の30年間を走り続けてきたALBA.Netの兄弟メディアである雑誌「ALBA-TrossView(アルバ-トロスビュー)」で、平成のゴルフを振り返る。
ALBA.Netが誕生する前年、平成18年(2006年)までを当時の記事とともに振り返ろう。
日本プロゴルフ協会(PGA)から独立して日本ゴルフツアー機構が設立 ALBA286号
この新組織は日本プレーヤーズクラブ(JTPC)、主催者とスポンサーで作る日本ゴルフトーナメント振興協会(GTPA)、ツアーオブジャパンの3つの団体から構成された。米国にならい、より世界に通用する強い選手を育成するためにPGAから独立することとなった。
メタルスパイク禁止コースが続々…ソフトスパイクが主流に ALBA290号
当時の本誌では、メタルスパイクはグリーンだけでなくクラブハウスの床や階段にもキズをつけてしまったり、人の足やクラブを踏んでしまった場合は凶器になることを注意喚起しており、ソフトスパイクを推奨していた。
往年の名プレーヤー、ジーン・サラゼンが死去 ALBA293号
享年97歳だったサラゼンの死を悼み、ゴルフ解説者でおなじみの戸張捷氏をはじめ、サラゼンの名を冠したトーナメント「ジーン・サラゼン ジュンクラシック」で優勝経験のある青木功と尾崎直道が、ありし日のエピソードを語った。
今田竜二が全米大学王座とオールアメリカンのW獲得 ALBA296号
全米大学ゴルフ選手権団体でチームを逆転優勝に導き、さらにオールアメリカンを獲得。同年に今田は大学を中退して、米国ツアーで戦うプロへと転向。2008年PGAツアーで1勝、2000年と2004年にウェブドットコムツアーで2勝の成績を残している。
“天才”タイガー・ウッズを“神の子”セルジオ・ガルシアが猛追 ALBA296号
同年にマスターズでベストアマに輝き、プロに転向した後、欧州ツアー「アイリッシュ・オープン」で初優勝。さらに同年「リンデ・ドイツ・マスターズ」で2勝目を挙げる勢いあるガルシアが世界中から注目されていた。
丸山茂樹が2000年の米ツアーのシード権を獲得 ALBA301/305号
305号では、丸山の世界に通用するスイング作りの原点を特集。幼少期の頃にあえてゴルフをさせない道を選んだ、父親の教育方法も紹介されている。
ペイン・スチュアートが自家用ジェット機で移動中に墜落死 ALBA304/305号
スチュアートが参戦する予定だった「ツアーチャンピオンシップ」では、彼のトレードマークであるニッカーボッカを着て試合に出場するアーニー・エルスやフィル・ミケルソンら選手の姿が多く見られた。
タイガー・ウッズが2年ぶり2回目の賞金王の座に就く ALBA305号
翌年の平成12年(2000年)には全英オープンで優勝して、グランドスラムを達成するほど絶好調だったタイガーにとって、この手術は大成功だったといえるだろう。