打打打坐 第35回【打ち納めゴルフの効力】
打打打坐(ちょうちょうだざ)とは、打ちまくって瞑想の境地に入るという造語。コースで打たなければわからないと試打ラウンドだけで年間50ラウンド以上しているロマン派ゴルフ作家が、瞑想、妄想、迷走…… 徒然なるままにゴルフを想い、語るというお話。
配信日時: 2020年12月11日 06時00分
良いお年を、は何の略
12月の中旬ぐらいから12月の30日までの別れ際の挨拶に使われるのが、
「良いお年を」
です。
「良いお年をお過ごしください」の略だというのは間違いで、正確には「良いお年をお迎えください」の略なのだそうです。
江戸時代。商いの慣習で、多くのものの代金はまとめて後払い、つまり、掛け売り、掛け払いでした。支払いは基本的には、盆と暮れと決まっていたそうです。12月の終わりにツケを精算できるかどうか? 支払が出来ないケースもあったようで、スッキリときれいにツケを払って、気分良く大晦日を迎えることができますように、という気持ちが「良いお年を」になったらしいのです。
ちなみに、江戸時代の1日の区切りは日の入りでした。太陽が沈めば、その日は終わり、その日の夜は、今でいう翌日だったのです。大晦日の夜におせち料理を食べ、新年の挨拶をするのが当たり前の光景でした。現在のような1日の概念に変わったのは、明治時代になってからで、元旦におせちをいただくようになったというわけです。
そのような事情があったから、「良いお年を」という挨拶は12月30日までで、大晦日の挨拶は「来年もよろしくお願いします」になるのが、正しいお作法のようです。
さて、僕の周辺のゴルファー同士の12月の別れ際の挨拶は、「良いお年を。良いゴルフを」です。僕が毎年、強引に使うので、やっと仲間内に普及してきたと満足しております。
冬場はゴルフをしない人にも声を掛けますので、意味合いとしては「来年も良いゴルフをしましょうね」ということになるような気もします。あまり深くは考えずに、年内のいつまでゴルフをしますか? という探り合いのニュアンスから「良いゴルフを」と言い出したような気がします。ゴルフショップに勤務していた頃の話です。
「僕は、先週が今年最後のゴルフだった」
「28日に忘年ゴルフをするよ」
「オレは、休みに入ったら連チャンだから……」
いわゆる打ち納めのゴルフはいつになるのか?
不思議なことに誰もが、少し自慢気でもあり、楽しみな雰囲気が滲み出したりもしていて、打ち納めのゴルフの話は和むのです。
「良いお年を」
です。
「良いお年をお過ごしください」の略だというのは間違いで、正確には「良いお年をお迎えください」の略なのだそうです。
江戸時代。商いの慣習で、多くのものの代金はまとめて後払い、つまり、掛け売り、掛け払いでした。支払いは基本的には、盆と暮れと決まっていたそうです。12月の終わりにツケを精算できるかどうか? 支払が出来ないケースもあったようで、スッキリときれいにツケを払って、気分良く大晦日を迎えることができますように、という気持ちが「良いお年を」になったらしいのです。
ちなみに、江戸時代の1日の区切りは日の入りでした。太陽が沈めば、その日は終わり、その日の夜は、今でいう翌日だったのです。大晦日の夜におせち料理を食べ、新年の挨拶をするのが当たり前の光景でした。現在のような1日の概念に変わったのは、明治時代になってからで、元旦におせちをいただくようになったというわけです。
そのような事情があったから、「良いお年を」という挨拶は12月30日までで、大晦日の挨拶は「来年もよろしくお願いします」になるのが、正しいお作法のようです。
さて、僕の周辺のゴルファー同士の12月の別れ際の挨拶は、「良いお年を。良いゴルフを」です。僕が毎年、強引に使うので、やっと仲間内に普及してきたと満足しております。
冬場はゴルフをしない人にも声を掛けますので、意味合いとしては「来年も良いゴルフをしましょうね」ということになるような気もします。あまり深くは考えずに、年内のいつまでゴルフをしますか? という探り合いのニュアンスから「良いゴルフを」と言い出したような気がします。ゴルフショップに勤務していた頃の話です。
「僕は、先週が今年最後のゴルフだった」
「28日に忘年ゴルフをするよ」
「オレは、休みに入ったら連チャンだから……」
いわゆる打ち納めのゴルフはいつになるのか?
不思議なことに誰もが、少し自慢気でもあり、楽しみな雰囲気が滲み出したりもしていて、打ち納めのゴルフの話は和むのです。
大晦日ゴルフコンペの思い出
僕の生涯二回目のラウンドは、ゴルフを始めた年の大晦日でした。理由は、親戚たち全員の都合が良い日が、大晦日だけだったからです。
祖父と父と叔父たちと従兄弟と、叔父たちのゴルフ仲間で3組のコンペでした。クリスマスぐらいから楽しみにで、なかなか寝られないほど興奮したことを覚えています。
その後、途中中断はありましたが、ゴルフ人生の半分ぐらいは大晦日に打ち納めをしてきました。昭和の頃は、大晦日は原則としてゴルフコースがクローズだったので、プレーできるゴルフコースを探すのが大変でした。ゴルフショップにいる頃は、12組48名参加のビッグな大晦日コンペの幹事だったから尚更です。
賞品は、参加賞の新巻鮭1本を始めとした、お正月に食べられる豪華な海産物でした。築地の会社に協力してもらって、30日の夕方まで冷凍倉庫で預かってもらったものを取りに行き、会社の大きな車に積み込んで、その日から翌日まで、10キロ以上のドライアイスを賞品の上に設置して、断熱シートを運転席以外に貼りまくって、即席の冷凍車にするのです。ゴルフコースに向かう道は、スキーウェアで車に乗り込んで、冷房全開で震えながら運転しました。
大晦日のコンペの後に、新年のカウントダウンをゴルフコースで迎えようというナイターゴルフに参加していた年もありました。
大晦日に打ち納めをすると、縁起が良い儀式になるような気持ちがあったのだと思います。とはいえ、一般的には、大晦日にゴルフなんて、正気ではない、と白い目で見られたものでした。だからこそ、その儀式には効力があるように錯覚をするわけですが……
大晦日にコースがオープンしているのが普通になったのは、10年ぐらい前からだと思います。現在では、それなりに混雑しているコースも多く、楽しそうに集っているゴルフバカたちに祝福が与えられることを祈らずにはいられません。
大晦日のゴルフの思い出だけで、本が何冊も書けそうです。
祖父と父と叔父たちと従兄弟と、叔父たちのゴルフ仲間で3組のコンペでした。クリスマスぐらいから楽しみにで、なかなか寝られないほど興奮したことを覚えています。
その後、途中中断はありましたが、ゴルフ人生の半分ぐらいは大晦日に打ち納めをしてきました。昭和の頃は、大晦日は原則としてゴルフコースがクローズだったので、プレーできるゴルフコースを探すのが大変でした。ゴルフショップにいる頃は、12組48名参加のビッグな大晦日コンペの幹事だったから尚更です。
賞品は、参加賞の新巻鮭1本を始めとした、お正月に食べられる豪華な海産物でした。築地の会社に協力してもらって、30日の夕方まで冷凍倉庫で預かってもらったものを取りに行き、会社の大きな車に積み込んで、その日から翌日まで、10キロ以上のドライアイスを賞品の上に設置して、断熱シートを運転席以外に貼りまくって、即席の冷凍車にするのです。ゴルフコースに向かう道は、スキーウェアで車に乗り込んで、冷房全開で震えながら運転しました。
大晦日のコンペの後に、新年のカウントダウンをゴルフコースで迎えようというナイターゴルフに参加していた年もありました。
大晦日に打ち納めをすると、縁起が良い儀式になるような気持ちがあったのだと思います。とはいえ、一般的には、大晦日にゴルフなんて、正気ではない、と白い目で見られたものでした。だからこそ、その儀式には効力があるように錯覚をするわけですが……
大晦日にコースがオープンしているのが普通になったのは、10年ぐらい前からだと思います。現在では、それなりに混雑しているコースも多く、楽しそうに集っているゴルフバカたちに祝福が与えられることを祈らずにはいられません。
大晦日のゴルフの思い出だけで、本が何冊も書けそうです。
打ち納めゴルフの真相
ゴルフをすればするほど、18ホールという数は本当に良く出来ていると感心します。ゴルフというゲームでは、どんな達人でもプレー中の流れや調子が微妙に変化し続けます。18ホールは、調子良く逃げ切るのには長く、平均の法則が平等に有効になるには短い、というのは、18ホールの長さが絶妙だというほんの一例です。
ゴルフを極めれば、全てのストロークは等価である、ということに賛同するようになるものですが、わかってはいても、記録や勝負かかかった最終ホールのストロークの重さが増すことは、誰もが経験します。
年間に何回プレーするかにかかわらず、1年の最後のゴルフはあるわけです。今年最後のゴルフだと、意識してゴルフをする打ち納めは、それだけで十分に重く、意味があるのです。何も特別にする必要はなく(もちろん、特別にしても問題はありません)、けじめというか、節目として意識することで、自分のゴルフの中に、線を引いて客観視しやすくなるからです。
例えば、打ち納めのゴルフが絶不調で、1年のワーストスコアだったとしても、それにはちゃんと意味があります。そういう要素を自分のゴルフが内包していて、表面に出なかっただけのことで、最後に吐き出すように悪いところが出たのも自分のゴルフの素の姿なのです。打ち納めだからこそ、翌年のゴルフに悪い要素は引き継がないようにしたいのです。現実を受け入れ、何が引き算できるか、わかってくればラッキーです。
逆に、絶好調であれば、努力は報われたと、自分を褒めて、ますますの努力をするきっかけになったと考えれば良いだけです。
つまり、どっちに転んでも、考えた次第で、打ち納めは自分のゴルフにプラスにはなるように思考できるのです。
ただ、これはちゃんと打ち納めのゴルフだと線を引いた人だけの特権です。いつものように普通にゴルフをしただけではダメなのです。2020年は大変な1年でしたが、だからこそ、今年最後のゴルフだと意識することで、ただの宿題ではなく、同じものが模擬テストのように格上げされるのです。
個人的な感覚ですが、冬のゴルフコースは、寒ければ寒いほど凜としていて清々しいのです。それを、いつもと違う視点で、楽しみながらプレーするだけでも十分に面白いはずです。冬でなければ、見られないシーンや経験できないゴルフがあるからです。
コロナ禍で、日本のゴルフは色々と変わりました。ゴルフ界にとっても、激動の1年でした。自粛しているゴルファーもいます。今年がダメなら、来年でも良いので、自分の中のけじめとしての打ち納めゴルフをして欲しいです。
いつ、ゴルフをするかは、ゴルファーの自由ですが、打ち納めのゴルフにかんしては、今、なのです。偉そうなことを書きましたが、僕の2020年の打ち納めは12月29日の予定です。キャディーバッグも含めて、数本のクラブを除いて全て新しくした1年をしみじみと振り返りつつ、同級生と面白可笑しくラウンドをすることを楽しみにしているのです。
ゴルフを極めれば、全てのストロークは等価である、ということに賛同するようになるものですが、わかってはいても、記録や勝負かかかった最終ホールのストロークの重さが増すことは、誰もが経験します。
年間に何回プレーするかにかかわらず、1年の最後のゴルフはあるわけです。今年最後のゴルフだと、意識してゴルフをする打ち納めは、それだけで十分に重く、意味があるのです。何も特別にする必要はなく(もちろん、特別にしても問題はありません)、けじめというか、節目として意識することで、自分のゴルフの中に、線を引いて客観視しやすくなるからです。
例えば、打ち納めのゴルフが絶不調で、1年のワーストスコアだったとしても、それにはちゃんと意味があります。そういう要素を自分のゴルフが内包していて、表面に出なかっただけのことで、最後に吐き出すように悪いところが出たのも自分のゴルフの素の姿なのです。打ち納めだからこそ、翌年のゴルフに悪い要素は引き継がないようにしたいのです。現実を受け入れ、何が引き算できるか、わかってくればラッキーです。
逆に、絶好調であれば、努力は報われたと、自分を褒めて、ますますの努力をするきっかけになったと考えれば良いだけです。
つまり、どっちに転んでも、考えた次第で、打ち納めは自分のゴルフにプラスにはなるように思考できるのです。
ただ、これはちゃんと打ち納めのゴルフだと線を引いた人だけの特権です。いつものように普通にゴルフをしただけではダメなのです。2020年は大変な1年でしたが、だからこそ、今年最後のゴルフだと意識することで、ただの宿題ではなく、同じものが模擬テストのように格上げされるのです。
個人的な感覚ですが、冬のゴルフコースは、寒ければ寒いほど凜としていて清々しいのです。それを、いつもと違う視点で、楽しみながらプレーするだけでも十分に面白いはずです。冬でなければ、見られないシーンや経験できないゴルフがあるからです。
コロナ禍で、日本のゴルフは色々と変わりました。ゴルフ界にとっても、激動の1年でした。自粛しているゴルファーもいます。今年がダメなら、来年でも良いので、自分の中のけじめとしての打ち納めゴルフをして欲しいです。
いつ、ゴルフをするかは、ゴルファーの自由ですが、打ち納めのゴルフにかんしては、今、なのです。偉そうなことを書きましたが、僕の2020年の打ち納めは12月29日の予定です。キャディーバッグも含めて、数本のクラブを除いて全て新しくした1年をしみじみと振り返りつつ、同級生と面白可笑しくラウンドをすることを楽しみにしているのです。
【著者紹介】篠原嗣典
ロマン派ゴルフ作家・ゴルフギアライター。ゴルフショップのバイヤー、広告代理店を経て、現在はゴルフエッセイストとして活躍中。
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