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村田理沙の「ゴルフ人生はこれからが本番!」【第6回】終わりのとき
こんにちは、プロゴルファーの村田理沙です。今回、短期連載の場をいただいたのですが、縁となったのは私が米国の下部ツアー「シメトラツアー」でプレーしていたこと。日本ではあまり知られていないシメトラツアーの実態を、私自身の目標も加えてお話ししていきたと思います。
配信日時: 2020年11月18日 01時30分
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【第6回】終わりのとき
こんにちは、プロゴルファーの村田理沙です。今回、短期連載の場をいただいたのですが、縁となったのは私が米国の下部ツアー「シメトラツアー」でプレーしていたこと。日本ではあまり知られていないシメトラツアーの実態を、私自身の目標も加えてお話ししていきたと思います。
20歳の村田理沙がホテルでポーズ【写真】
元来の性格なのか、米国に行って鍛えられたのか、現地での生活にまったく不自由はありませんでした。
半面、成績はついてきません。初戦の「マーフィーUSAエルドラドシュートアウト」(4月23〜26日)は通算14オーバーの46位タイで、収入は762ドル(約8万2300円)。これはまだ良いほうで、続く「バレー・フォージインビテ―ショナル」(5月31日〜6月2日)から「ザ・CDPHPオープン」(7月26〜28日)までの4戦は予選落ちです。
「PHCクラシック」(8月9〜11日)は65位で392ドル(約4万2300円)、「ファイアキーパーズ・カジノホテルチャンピオンシップ」(8月16〜18日)は予選落ち。自身最終戦となった4日間競技の「スー・フォールズ・グレートライフチャレンジ」(8月29日〜9月1日)は64位タイで723ドル(約7万8000円)でした。
私のシメトラツアー挑戦をまとめると、8試合出場、3試合予選通過、獲得賞金は日本円で約20万円ちょっとです。QTの順位から出場できる試合が限られていたとはいえ、「もう少しできたのでは」という悔しさと、「後半になってようやく自分のゴルフができた」という安堵が入り混じった挑戦だったと思います。
前回お話ししたように、コースの違いに戸惑いました。向こうの選手はトレーニングの内容が筋肉主体なのか、とにかくパワーがすごい。ドライバーショットは飛ぶし、重いラフもモノともしない。それに対抗するには、正確性とラフに負けない鋭角なクラブの入れ方、そしてグリーンを外したときの寄せ方がポイントとなってきます。特に、受けグリーン主体の日本に対し、向こうは奥からのアプローチも求められる。転がしだけでは通用しないし、上げて止めるロブショットのような技術も要求されるのです。
その辺がようやく噛み合ってきて、「Sioux Falls GreatLIFE Challenge」2日目にはシメトラツアー初となる60台をマークできた。風は強いしタフなコースだったけれど、4日間戦うことができたのも大きな自信となりました。
決めていた1年間には少し早かったけれど、得たものは十分にあった。それは技術面のみならず、精神面のほうが大きかったかもしれません。たとえ思ったゴルフができなくても、悔しい気持ちを次へとつなげていく。またLPGAにチャレンジしたいと思いながら、QTを受けるために帰国の途についたのです。試合会場へ行くたびに「どこから来たの?」という会話が楽しかった思い出とともに、私の新しいチャレンジがいったん終わりのときを告げました。
※同連載は週1回の更新で、全8回を予定しています。
■村田理沙(むらた・りさ)
1995年6月22日、東京都三鷹市出身。身長161センチ、体重52キロ。祖父母の影響で8歳からゴルフを始めた。杉並学院高校(東京都)から山梨学院大学(山梨県)に進学したが中退し、まずは日本のプロテストに専念。3回目の2016年7月29日に合格し、晴れて正式な女子プロゴルファーとなった(88期生)。2019年には米国下部「シメトラツアー」でプレー。帰国後に日本のQTを受け99位の成績だったことから、今年はステップ・アップ・ツアーを主戦場としている。アメリカ人の父と日本人の母を持つ美人プロとしても有名。ゼビオホールディングス所属。
20歳の村田理沙がホテルでポーズ【写真】
元来の性格なのか、米国に行って鍛えられたのか、現地での生活にまったく不自由はありませんでした。
半面、成績はついてきません。初戦の「マーフィーUSAエルドラドシュートアウト」(4月23〜26日)は通算14オーバーの46位タイで、収入は762ドル(約8万2300円)。これはまだ良いほうで、続く「バレー・フォージインビテ―ショナル」(5月31日〜6月2日)から「ザ・CDPHPオープン」(7月26〜28日)までの4戦は予選落ちです。
「PHCクラシック」(8月9〜11日)は65位で392ドル(約4万2300円)、「ファイアキーパーズ・カジノホテルチャンピオンシップ」(8月16〜18日)は予選落ち。自身最終戦となった4日間競技の「スー・フォールズ・グレートライフチャレンジ」(8月29日〜9月1日)は64位タイで723ドル(約7万8000円)でした。
私のシメトラツアー挑戦をまとめると、8試合出場、3試合予選通過、獲得賞金は日本円で約20万円ちょっとです。QTの順位から出場できる試合が限られていたとはいえ、「もう少しできたのでは」という悔しさと、「後半になってようやく自分のゴルフができた」という安堵が入り混じった挑戦だったと思います。
前回お話ししたように、コースの違いに戸惑いました。向こうの選手はトレーニングの内容が筋肉主体なのか、とにかくパワーがすごい。ドライバーショットは飛ぶし、重いラフもモノともしない。それに対抗するには、正確性とラフに負けない鋭角なクラブの入れ方、そしてグリーンを外したときの寄せ方がポイントとなってきます。特に、受けグリーン主体の日本に対し、向こうは奥からのアプローチも求められる。転がしだけでは通用しないし、上げて止めるロブショットのような技術も要求されるのです。
その辺がようやく噛み合ってきて、「Sioux Falls GreatLIFE Challenge」2日目にはシメトラツアー初となる60台をマークできた。風は強いしタフなコースだったけれど、4日間戦うことができたのも大きな自信となりました。
決めていた1年間には少し早かったけれど、得たものは十分にあった。それは技術面のみならず、精神面のほうが大きかったかもしれません。たとえ思ったゴルフができなくても、悔しい気持ちを次へとつなげていく。またLPGAにチャレンジしたいと思いながら、QTを受けるために帰国の途についたのです。試合会場へ行くたびに「どこから来たの?」という会話が楽しかった思い出とともに、私の新しいチャレンジがいったん終わりのときを告げました。
※同連載は週1回の更新で、全8回を予定しています。
■村田理沙(むらた・りさ)
1995年6月22日、東京都三鷹市出身。身長161センチ、体重52キロ。祖父母の影響で8歳からゴルフを始めた。杉並学院高校(東京都)から山梨学院大学(山梨県)に進学したが中退し、まずは日本のプロテストに専念。3回目の2016年7月29日に合格し、晴れて正式な女子プロゴルファーとなった(88期生)。2019年には米国下部「シメトラツアー」でプレー。帰国後に日本のQTを受け99位の成績だったことから、今年はステップ・アップ・ツアーを主戦場としている。アメリカ人の父と日本人の母を持つ美人プロとしても有名。ゼビオホールディングス所属。