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村田理沙の「ゴルフ人生はこれからが本番!」【第5回】生活では苦労なしもゴルフでは……
こんにちは、プロゴルファーの村田理沙です。今回、短期連載の場をいただいたのですが、縁となったのは私が米国の下部ツアー「シメトラツアー」でプレーしていたこと。日本ではあまり知られていないシメトラツアーの実態を、私自身の目標も加えてお話ししていきたと思います。
配信日時: 2020年11月11日 01時30分
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【第5回】生活では苦労なしもゴルフでは……
こんにちは、プロゴルファーの村田理沙です。今回、短期連載の場をいただいたのですが、縁となったのは私が米国の下部ツアー「シメトラツアー」でプレーしていたこと。日本ではあまり知られていないシメトラツアーの実態を、私自身の目標も加えてお話ししていきたと思います。
村田理沙は19歳で若手の登竜門「グアム知事杯」優勝!【写真】
ハーフながら英語も話せない女性の単身挑戦。はたから見れば珍道中でしょうが(私はそうは思っていませんでしたが)、日本とは違った充実感の毎日が過ぎていきます。
大変なことはなかったか? これがホント、大して苦労していないんですよ。自分で決めたことだから、何か困難があって落ち込んだところで誰も助けてくれないし、そこで終わってしまう。記者さんが考える大変なことをあげてもらっていいですか?
Q 食事は?
A 何でもいけるので大丈夫。ちなみにカリフォルニアを拠点にしていたものの、試合会場は田舎が多かったので、とりあえず近くで日本人がやっている寿司(すし)屋を探すという目的を持って現地入りしていました。一軒も見つけられなかったことで、シメトラツアーの会場周りの雰囲気が分かっていただけるかと思います(笑)。
Q 日本語を話せなかったストレスは?
A なかったですね。会場に行って「今日は日本の人がいるかな?」と探すのが楽しみでした(寿司屋探しと一緒だという突っ込みはなしで笑)。ちなみに、イリノイ州で行われた「ザ ・フォーサイクラシック」(6月14〜16日)では、日本人のギャラリーの方に応援いただけました。素直にうれしかったし、力になりました(予選落ちでしたが……)。
Q 怖かったことは?
A これもなかったですね〜。強いていえば試合の終わり時間の関係で、帰りの乗り継ぎ便に搭乗できずに人生初の空港で夜を明かしたことかな。ハブ空港には行けたんですけどね……。仕方がないので毛布を買って、一晩過ごしました。空港で寝るといっても、向こうの場合はそんなのがしょっちゅうだし、女性でも全然危なくない。むしろ空港の外に出たほうが危険なので、安心してぐっすり眠りにつきました(笑)。
Q 車の運転は?
A 問題なし! 強いて挙げればタイヤがパンクしたことですが、一人でジャッキを使って車を持ち上げ、予備のタイヤに交換してのスンナリな流れでした。
じゃあ困ったことがなかったといえばウソになり、もちろんそれは「ゴルフ」でした。まず、ゴルフ場の違いに苦労。向こうはグリーンが素直に受けてなくてアンジュレーションがあり、グリーン自体も大きいから乗せる場所に気を遣う。もう一つはラフがほんとに重い。グリーンを外したときのアプローチの引き出しも含めて、とにかく慣れるまで苦労しました。その辺の試合の話は次回に。
※同連載は週1回の更新で、全8回を予定しています。
■村田理沙(むらた・りさ)
1995年6月22日、東京都三鷹市出身。身長161センチ、体重52キロ。祖父母の影響で8歳からゴルフを始めた。杉並学院高校(東京都)から山梨学院大学(山梨県)に進学したが中退し、まずは日本のプロテストに専念。3回目の2016年7月29日に合格し、晴れて正式な女子プロゴルファーとなった(88期生)。2019年には米国下部「シメトラツアー」でプレー。帰国後に日本のQTを受け99位の成績だったことから、今年はステップ・アップ・ツアーを主戦場としている。アメリカ人の父と日本人の母を持つ美人プロとしても有名。ゼビオホールディングス所属。
村田理沙は19歳で若手の登竜門「グアム知事杯」優勝!【写真】
ハーフながら英語も話せない女性の単身挑戦。はたから見れば珍道中でしょうが(私はそうは思っていませんでしたが)、日本とは違った充実感の毎日が過ぎていきます。
大変なことはなかったか? これがホント、大して苦労していないんですよ。自分で決めたことだから、何か困難があって落ち込んだところで誰も助けてくれないし、そこで終わってしまう。記者さんが考える大変なことをあげてもらっていいですか?
Q 食事は?
A 何でもいけるので大丈夫。ちなみにカリフォルニアを拠点にしていたものの、試合会場は田舎が多かったので、とりあえず近くで日本人がやっている寿司(すし)屋を探すという目的を持って現地入りしていました。一軒も見つけられなかったことで、シメトラツアーの会場周りの雰囲気が分かっていただけるかと思います(笑)。
Q 日本語を話せなかったストレスは?
A なかったですね。会場に行って「今日は日本の人がいるかな?」と探すのが楽しみでした(寿司屋探しと一緒だという突っ込みはなしで笑)。ちなみに、イリノイ州で行われた「ザ ・フォーサイクラシック」(6月14〜16日)では、日本人のギャラリーの方に応援いただけました。素直にうれしかったし、力になりました(予選落ちでしたが……)。
Q 怖かったことは?
A これもなかったですね〜。強いていえば試合の終わり時間の関係で、帰りの乗り継ぎ便に搭乗できずに人生初の空港で夜を明かしたことかな。ハブ空港には行けたんですけどね……。仕方がないので毛布を買って、一晩過ごしました。空港で寝るといっても、向こうの場合はそんなのがしょっちゅうだし、女性でも全然危なくない。むしろ空港の外に出たほうが危険なので、安心してぐっすり眠りにつきました(笑)。
Q 車の運転は?
A 問題なし! 強いて挙げればタイヤがパンクしたことですが、一人でジャッキを使って車を持ち上げ、予備のタイヤに交換してのスンナリな流れでした。
じゃあ困ったことがなかったといえばウソになり、もちろんそれは「ゴルフ」でした。まず、ゴルフ場の違いに苦労。向こうはグリーンが素直に受けてなくてアンジュレーションがあり、グリーン自体も大きいから乗せる場所に気を遣う。もう一つはラフがほんとに重い。グリーンを外したときのアプローチの引き出しも含めて、とにかく慣れるまで苦労しました。その辺の試合の話は次回に。
※同連載は週1回の更新で、全8回を予定しています。
■村田理沙(むらた・りさ)
1995年6月22日、東京都三鷹市出身。身長161センチ、体重52キロ。祖父母の影響で8歳からゴルフを始めた。杉並学院高校(東京都)から山梨学院大学(山梨県)に進学したが中退し、まずは日本のプロテストに専念。3回目の2016年7月29日に合格し、晴れて正式な女子プロゴルファーとなった(88期生)。2019年には米国下部「シメトラツアー」でプレー。帰国後に日本のQTを受け99位の成績だったことから、今年はステップ・アップ・ツアーを主戦場としている。アメリカ人の父と日本人の母を持つ美人プロとしても有名。ゼビオホールディングス所属。