PGAツアー
米国男子
ザ・メモリアルトーナメント
日程 2021年6月3日-6月6日賞金総額 $9,300,000
TV/ネット放送予定セベ・バレステロス逝去から10年 ザ・メモリアルでのできごと【PGAツアー公式コラム】
セベ・バレステロス逝去から10年 ザ・メモリアルでのできごと【PGAツアー公式コラム】
配信日時: 2021年6月3日 07時42分
Round 4 | ||
---|---|---|
順位 | Sc | PLAYER |
1 | -13 | パトリック・キャントレー |
2 | -13 | コリン・モリカワ |
3 | -11 | スコッティ・シェフラー |
4 | -10 | ブランデン・グレイス |
5 | -8 | パトリック・リード |
6 | -6 | マックス・ホーマ |
6 | -6 | シェーン・ローリー |
6 | -6 | ジミー・ウォーカー |
9 | -5 | キム・シウー |
9 | -5 | アーロン・ワイズ |
欧州を代表する偉大なゴルファーがこの世を去ってから10年が経つ。スペインのセベ・バレステロスが逝去したのは2011年5月。その1年前の「ザ・メモリアル」では、コースに“舞い戻った”彼の姿に誰もが敬意を払っていた。
松山英樹の2021年ドライバースイング【連続写真】
欧州ツアー50勝、マスターズ2勝、全英オープンで3勝。劇的なプレーでファンを魅了してきたカリスマは、2008年に脳腫瘍が見つかってから闘病生活を送っていた。その最中、これまでの功績をたたえて2010年のザ・メモリアルで栄誉賞を受賞。会場に足を運ぶことは叶わなかったが、練習場に設置されたスクリーンごしに映し出された全盛期のセベの姿は、その場の空気を一瞬にして変えたのだった。現役を引退してもなお、偉大なキャリアは少しも廃れることはない。
セベを「アーティスト」と例えたのは、セベの1歳下のデビッド・フェハティ。セベの全盛期に欧州ツアーでプレーしていた。アーノルド・パーマーがPGAツアーを代表する存在だとしたら、セベは欧州の顔。ファンやスポンサーから最も注目される存在だった。「彼が出てくるまで、欧州ツアーは“庭師”の集まりのようだった」と言うほど。たぐいまれなボールコントロール術で、常識外れのミラクルショットをいくつも生み出してきた。ライダーカップへも欧州代表として出場。セベの群を抜いたリカバリーショットやショットの正確性は、欧州ツアー自体の注目度も一気に押し上げた。
パドレイグ・ハリントンは、「彼には野性的な魅力があった」と語る。セベのルーツはスペインのペドリーニャ。幼少の頃、ゴルフクラブを買う余裕がなく、兄のお下がりの3番アイアン1本で打ち方を学んだという。さまざまな打ち分けを試し、難しいライからのリカバリーショットを想像しながら、オリジナルのショットを身につけていった。最大の特徴は手首の使い方にあったとフェハティは言う。「クラブをものすごく柔らかく握っていた。まるで小鳥を抱いているようだった」と振り返る。
16歳でプロ入りを果たし、17歳で欧州ツアーデビュー。19歳では早くも賞金王に輝いた。そして同年の全英オープンで、ジャック・ニクラスとともに2位タイになったことで知名度を一気に上げた。ニクラスがセベと対面したのは、それが初めてだった。「彼の打ち立てた記録もゴルフへの情熱も、すべてが偉大だった」と、一瞬で魅了された。
松山英樹の2021年ドライバースイング【連続写真】
欧州ツアー50勝、マスターズ2勝、全英オープンで3勝。劇的なプレーでファンを魅了してきたカリスマは、2008年に脳腫瘍が見つかってから闘病生活を送っていた。その最中、これまでの功績をたたえて2010年のザ・メモリアルで栄誉賞を受賞。会場に足を運ぶことは叶わなかったが、練習場に設置されたスクリーンごしに映し出された全盛期のセベの姿は、その場の空気を一瞬にして変えたのだった。現役を引退してもなお、偉大なキャリアは少しも廃れることはない。
セベを「アーティスト」と例えたのは、セベの1歳下のデビッド・フェハティ。セベの全盛期に欧州ツアーでプレーしていた。アーノルド・パーマーがPGAツアーを代表する存在だとしたら、セベは欧州の顔。ファンやスポンサーから最も注目される存在だった。「彼が出てくるまで、欧州ツアーは“庭師”の集まりのようだった」と言うほど。たぐいまれなボールコントロール術で、常識外れのミラクルショットをいくつも生み出してきた。ライダーカップへも欧州代表として出場。セベの群を抜いたリカバリーショットやショットの正確性は、欧州ツアー自体の注目度も一気に押し上げた。
パドレイグ・ハリントンは、「彼には野性的な魅力があった」と語る。セベのルーツはスペインのペドリーニャ。幼少の頃、ゴルフクラブを買う余裕がなく、兄のお下がりの3番アイアン1本で打ち方を学んだという。さまざまな打ち分けを試し、難しいライからのリカバリーショットを想像しながら、オリジナルのショットを身につけていった。最大の特徴は手首の使い方にあったとフェハティは言う。「クラブをものすごく柔らかく握っていた。まるで小鳥を抱いているようだった」と振り返る。
16歳でプロ入りを果たし、17歳で欧州ツアーデビュー。19歳では早くも賞金王に輝いた。そして同年の全英オープンで、ジャック・ニクラスとともに2位タイになったことで知名度を一気に上げた。ニクラスがセベと対面したのは、それが初めてだった。「彼の打ち立てた記録もゴルフへの情熱も、すべてが偉大だった」と、一瞬で魅了された。