打打打坐 第7回【チョコはゴルフのスパイス】
打打打坐(ちょうちょうだざ)とは、打ちまくって瞑想の境地に入るという造語。コースで打たなければわからないと試打ラウンドだけで年間50ラウンド以上しているロマン派ゴルフ作家が、瞑想、妄想、迷走…… 徒然なるままにゴルフを想い、語るというお話。
配信日時: 2020年5月29日 06時00分
賭博は犯罪です
賭け麻雀をしていたことが暴露されて、黒川検事総長が辞任しました。自らが関係する法案を強引に通そうとする与党に、強い反発が起きて、ドタバタしながら法案は次の国会の継続審議になった矢先の出来事でした。
三密を避けて、新型コロナウィルスの感染を抑えるステイホームという自粛の最中、麻雀は三密に該当する部分が多く、ましてや賭け麻雀は賭博じゃないか、ということで大騒ぎになったのです。
「賭けゴルフについて、教えてください」という依頼が複数ありました。ゴルフする人の大部分は、賭けてプレーしているという言質を取ろうというものもありましたし、逆に賭けゴルフは昭和の負の遺産で、現在では賭けゴルフなんて絶滅しつつあると言わせたいというものもありました。理解はできるのですが、結論有りきの取材はレベルが低くて困ります。
正直なところ、正確な統計データとして、賭けゴルフの実態がわかるものは存在しません。
とは言っても、実際には、賭けないでプレーするゴルフなんてあり得ないという人たちがいるのも事実です。しかし、その割合は21世紀になってからは減っているというのが、賭けゴルフの実態なのだと思います。
金銭を賭けてゴルフをすることは、法律違反で、賭博罪に該当します。ただし、例外としての判例があります。食事代程度の範囲であれば、無粋なことは言いっこなし、という大正時代の最高裁判例が、未だに有効なのです。今回の賭け麻雀にかんしても、この例外が適用されると見られています。
僕の認識では、食事代としてギリギリに想像できるのは3千円までかなぁ、という感じなのですけど、検事総長レベルになると1万円から2万円くらいは当たり前のようです。
まあ、そういう値段の高級店は、確かにたくさんありますが…… 何とも微妙な気分になります。
三密を避けて、新型コロナウィルスの感染を抑えるステイホームという自粛の最中、麻雀は三密に該当する部分が多く、ましてや賭け麻雀は賭博じゃないか、ということで大騒ぎになったのです。
「賭けゴルフについて、教えてください」という依頼が複数ありました。ゴルフする人の大部分は、賭けてプレーしているという言質を取ろうというものもありましたし、逆に賭けゴルフは昭和の負の遺産で、現在では賭けゴルフなんて絶滅しつつあると言わせたいというものもありました。理解はできるのですが、結論有りきの取材はレベルが低くて困ります。
正直なところ、正確な統計データとして、賭けゴルフの実態がわかるものは存在しません。
とは言っても、実際には、賭けないでプレーするゴルフなんてあり得ないという人たちがいるのも事実です。しかし、その割合は21世紀になってからは減っているというのが、賭けゴルフの実態なのだと思います。
金銭を賭けてゴルフをすることは、法律違反で、賭博罪に該当します。ただし、例外としての判例があります。食事代程度の範囲であれば、無粋なことは言いっこなし、という大正時代の最高裁判例が、未だに有効なのです。今回の賭け麻雀にかんしても、この例外が適用されると見られています。
僕の認識では、食事代としてギリギリに想像できるのは3千円までかなぁ、という感じなのですけど、検事総長レベルになると1万円から2万円くらいは当たり前のようです。
まあ、そういう値段の高級店は、確かにたくさんありますが…… 何とも微妙な気分になります。
チョコレートとゴルフ
今では滅多に見ることはありませんが、かつては、名門と呼ばれるゴルフコースの売店には、例外なくチョコレートが売っていました。名門を目指して頑張っているコースでも、売店でチョコレートが売っていることはマストだったのです。
金銭をかけるのは賭博になるし、いかにも露骨で、粋ではないということで、日本のオールドゴルファーたちは、チョコレートを賭けてゴルフをしていました。勝ち負けを楽しみたいだけで、お金が目的ではないからです。当時は高級菓子に分類され、家族のお土産にもなるチョコレートを賭けの対象にしたというわけです。
約半世紀前、まだ幼かった僕は、祖父や父がゴルフから帰宅すると、1個ずつ黒い紙に包まれているディンプルまで再現されたゴルフボールの形のチョコレートのお土産があるか、ないかに、ドキドキしたものです。
実はチョコレートが苦手だったのです。でも、祖父にも、父にも、それを言えませんでした。幼い子供にとって、ゴルフボール大の苦手なお菓子を喜んだフリをしながら食べるのは、かなり大変なことでした。
勝ち負けを楽しめれば十分というダンディーな格好良さがあった頃は、本当にチョコレートを買って渡すのを省いて、その分を現金で払うとしても、ゴルファーたちは人前で金銭のやり取りはしませんでした。
残念ながら、昭和の後期になると、粋なオールドゴルファーが減って、レストランのテーブルで平気で金銭をやり取りをする未熟な輩が増えてしまいました。バブルの頃になると、レストランに「金品のやり取りは禁止します」という注意書きが目立つようになったという笑えない歴史が、この国にはあったのです。
そのような注意書きが貼られているぐらいですから、ほとんどの人が賭けゴルフをしているのだと認識している人がいても、何ら不思議ではありません。
賭けゴルフのことをチョコを賭けるといったり、賭けている単位をチョコ1
枚というように、令和になっても、一部のオールドゴルファーの間で、名残りの隠語としてチョコレートは辛うじて使われています。
金銭をかけるのは賭博になるし、いかにも露骨で、粋ではないということで、日本のオールドゴルファーたちは、チョコレートを賭けてゴルフをしていました。勝ち負けを楽しみたいだけで、お金が目的ではないからです。当時は高級菓子に分類され、家族のお土産にもなるチョコレートを賭けの対象にしたというわけです。
約半世紀前、まだ幼かった僕は、祖父や父がゴルフから帰宅すると、1個ずつ黒い紙に包まれているディンプルまで再現されたゴルフボールの形のチョコレートのお土産があるか、ないかに、ドキドキしたものです。
実はチョコレートが苦手だったのです。でも、祖父にも、父にも、それを言えませんでした。幼い子供にとって、ゴルフボール大の苦手なお菓子を喜んだフリをしながら食べるのは、かなり大変なことでした。
勝ち負けを楽しめれば十分というダンディーな格好良さがあった頃は、本当にチョコレートを買って渡すのを省いて、その分を現金で払うとしても、ゴルファーたちは人前で金銭のやり取りはしませんでした。
残念ながら、昭和の後期になると、粋なオールドゴルファーが減って、レストランのテーブルで平気で金銭をやり取りをする未熟な輩が増えてしまいました。バブルの頃になると、レストランに「金品のやり取りは禁止します」という注意書きが目立つようになったという笑えない歴史が、この国にはあったのです。
そのような注意書きが貼られているぐらいですから、ほとんどの人が賭けゴルフをしているのだと認識している人がいても、何ら不思議ではありません。
賭けゴルフのことをチョコを賭けるといったり、賭けている単位をチョコ1
枚というように、令和になっても、一部のオールドゴルファーの間で、名残りの隠語としてチョコレートは辛うじて使われています。
スパイスは隠し味としてゴルフを美味しくする
ゴルフの歴史を振り返ると、発展して広がっていくエピソードに賭けという要素は外せません。
貴族の遊びだったゴルフは、ゲームとして発展していく過程で、地位と名誉を賭けて勝ち負けを演出するだけでは、大衆にその価値や意味合いをアピールできないという壁にぶつかりました。時代は、初期ゴルフを彩る天才ゴルファーを次々に生み出していました。職人だった彼らは、貴族の依頼で代理マッチに駆り出されていきます。賭けゴルフ有りきだったことから、勝敗で金銭を得ることになった天才ゴルファーたちは、ゴルフ史上初めてのプロゴルファーになっていくのです。
賭けないゴルフは味気なくて、つまらないという人がいます。悲しいけれど、彼らは病気のようなものです。そもそも、賭けなくともゴルフは十分に面白いのです。賭けという要素は、ゴルフの面白さに、ほんの少し振りかけて、元々の料理を活かすスパイスの役割をするだけのものなのです。
スパイスをかけすぎて、味覚が麻痺しまうと、もっと、もっとスパイスが欲しくなります。それが病気の本質です。
昭和の末期に、賭けゴルフが問題になったのには、無粋でカッコ悪いということだけではなく、賭けに夢中になるあまり慎重にプレーをするようになって、結果としてスロープレーが目立ったという悪習があったのです。「このパットが、お前の月収の何倍になるかわかっているのか!」と怒鳴っている人を、当時、コースで見たことがあります。コレも病気です。スパイス音痴になると、賭けのレートが上がらなければピリッとしなくなるからです。
ゴルフは美味しい料理です。そのまま食べても満足できる美味しさがあります。絶妙なスパイスを加えることで、更に美味しさが増すこともあります。でも、スパイスが主役になることはあり得ないのです。
スパイスは隠し味程度で十分。誰にでもわかる話です。
カレーライスが嫌いな日本人はいないという説があります。ゴルフは色々な要素でカレーのようなものなのです。カレーの隠し味として、有名なものがいくつかありますが、チョコレートもその1つです。辛さの中の旨さを引き出す甘さが隠し味になり、微妙な苦みはコクになるそうです。
ゴルフに入れる隠し味も、人それぞれですが……
スパイスとしてのチョコは、ちょこっとだから隠し味になることを忘れなければ、僕らはいつでも美味しいカレーというゴルフを、ライスにかけても、うどんにかけても、パンに入れても、アレンジし放題で味わえるのです。
貴族の遊びだったゴルフは、ゲームとして発展していく過程で、地位と名誉を賭けて勝ち負けを演出するだけでは、大衆にその価値や意味合いをアピールできないという壁にぶつかりました。時代は、初期ゴルフを彩る天才ゴルファーを次々に生み出していました。職人だった彼らは、貴族の依頼で代理マッチに駆り出されていきます。賭けゴルフ有りきだったことから、勝敗で金銭を得ることになった天才ゴルファーたちは、ゴルフ史上初めてのプロゴルファーになっていくのです。
賭けないゴルフは味気なくて、つまらないという人がいます。悲しいけれど、彼らは病気のようなものです。そもそも、賭けなくともゴルフは十分に面白いのです。賭けという要素は、ゴルフの面白さに、ほんの少し振りかけて、元々の料理を活かすスパイスの役割をするだけのものなのです。
スパイスをかけすぎて、味覚が麻痺しまうと、もっと、もっとスパイスが欲しくなります。それが病気の本質です。
昭和の末期に、賭けゴルフが問題になったのには、無粋でカッコ悪いということだけではなく、賭けに夢中になるあまり慎重にプレーをするようになって、結果としてスロープレーが目立ったという悪習があったのです。「このパットが、お前の月収の何倍になるかわかっているのか!」と怒鳴っている人を、当時、コースで見たことがあります。コレも病気です。スパイス音痴になると、賭けのレートが上がらなければピリッとしなくなるからです。
ゴルフは美味しい料理です。そのまま食べても満足できる美味しさがあります。絶妙なスパイスを加えることで、更に美味しさが増すこともあります。でも、スパイスが主役になることはあり得ないのです。
スパイスは隠し味程度で十分。誰にでもわかる話です。
カレーライスが嫌いな日本人はいないという説があります。ゴルフは色々な要素でカレーのようなものなのです。カレーの隠し味として、有名なものがいくつかありますが、チョコレートもその1つです。辛さの中の旨さを引き出す甘さが隠し味になり、微妙な苦みはコクになるそうです。
ゴルフに入れる隠し味も、人それぞれですが……
スパイスとしてのチョコは、ちょこっとだから隠し味になることを忘れなければ、僕らはいつでも美味しいカレーというゴルフを、ライスにかけても、うどんにかけても、パンに入れても、アレンジし放題で味わえるのです。
【著者紹介】篠原嗣典
ロマン派ゴルフ作家・ゴルフギアライター。ゴルフショップのバイヤー、広告代理店を経て、現在はゴルフエッセイストとして活躍中。
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