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世界のレフティの鼻っ柱が折れた 不調の“鬼”に屈した一騎打ち【名勝負ものがたり】

歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまで鮮やかな記憶。かたずをのんで見守る人々の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の数々の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

2021年09月22日

 
第11回は1982年日本プロゴルフ・マッチプレー選手権。怖いものなしだった新鋭、羽川豊が、前年覇者、青木功の勝負師ぶりを思い知らされたのは、決勝戦だった。

絶好調の若者の鼻っ柱を、百戦錬磨のつわものがへし折った。1982年5月。美しい新緑の季節に、どっしりと根を張った古木が存在感を示したと言い換えてもいいかも知れない。

順風満帆。怖いものなしのプロ3年目。25歳だった当時の羽川は、まさに勢いに乗っていた。前年、日本オープン、日本シリーズを制して賞金ランキング8位となり、4月にはマスターズ初出場を果たしたばかり。オーガスタナショナルでも15位に入る戦いぶりで“世界のレフティ”との呼び声も高くなっていた。それから約1か月。さらに弾みがついた状態で、戸塚カントリークラブを舞台にした日本プロゴルフ・マッチプレー選手権に臨んだ。

1回戦で前前年優勝者の安田春雄を19ホール目で撃破。2回戦では杉原輝雄に2ダウンと押されながら、後半に逆転して勝利している。3回戦でも中村通に逆転勝ちを収め、準決勝では“リトル・コーノ”こと河野高明をやはり逆転で退けた。猛者を次々に倒し、羽川は決勝に進んだ。

一方の青木は、金井清一、藤木三郎、湯原信光、謝敏男にいずれも快勝。羽川との決勝36ホールに順当に勝ち進み、連覇に挑んだ。

「あの頃は本当に調子がよかった。青木さんは(決勝では)あんまり調子が良くないみたいで、前半(18ホール)終わって3アップ。内容的には5アップくらいしててもおかしくないくらいだったけど、13番でイージーミスをして一緒にボギーを叩いてしまった」(羽川)。

実は、前年の日本シリーズでもこの2人で優勝を争っており、羽川が優勝している。青木にとっては、リベンジマッチという意味も持つ戦いだった。それなのに、前半を終えて3ダウン。青木の闘志がメラメラと燃え上がっているのが、羽川にはわかった。

「(休憩時間に)青木さんはお昼も食べずにパターの練習をしていた。『すっごいなぁ。この根性』と思いましたね。マッチプレーは学生時代からやっていたし、試合をやるのが楽しくて仕方ない。相手(青木)も調子悪いし『イケるな』って余裕があった。でも、お昼を境に青木さんの目の色が変わったのがわかった」。

調子が悪くても、勝負には負けない。後半開始と共に、鬼気迫る青木の反撃が始まった。1番でいきなりOKバーディを奪い、2ダウン。2番では難しいバンカーから見事なパーセーブを決める。3番では羽川が先にバーディを奪っても、しっかり入れ返してきた。4番では逆に先に青木がバーディを決め、羽川も負けずにいれ返す。手に汗握る戦いが繰り広げられた。羽川が5番でショートパットを外してボギーを叩いたところでリードは1つに縮まっていた。

そのまま一進一退の戦いが続いたが、30ホール目の12番で青木がバーディを奪ったところで、オールスクエア。勝負は振出しに戻る。「本当にパットの入れ合いだった。青木さんは、後半、本当に人が変わったようだった。この間、動画を見る機会があったけど、すごいツバ競り合い。相当な顔してやってた」と、深く息を吐きながら話すほど、緊迫していた。

前年の1980年全米オープンで、全盛期のジャック・二クラウスと最後まで優勝争いを展開した青木も、脂が乗り切っている。調子が今一つとは言え、その意地はすさまじく、羽川はここからは怒涛の攻勢を受けることになる。

逆転されて守勢に回った途端に、14番、15番と連続ボギーを叩いた羽川は「ガタガタになってしまった」と、ドーミーホールの16番ではOBを打って万事休す。4&2で青木の連覇を許した。

「ゴルフが楽しいと思ってウキウキ気分で試合をしていたけど、今、考えてみるとなぜあんなにツメの甘いことをしたのかなって。だんだん(グリーンに)乗せなきゃいけない、(パットを)絶対入れなきゃいけない、というような状況を作られていった。マッチプレーはそういうものだってわかっていたけど…」と、羽川は今更ながら悔しそうな表情をのぞかせる。

互いにいいゴルフをしていたからこそ、もつれ込んだ最後の9ホール。ここで圧巻の強さを見せた青木の前に、若い羽川は屈服した。 
 
「声援は両方にあったし、自分がボギーを打たなければ勝てた試合だと思う。こっちはマスターズ15位の後だし、ホントにウキウキして試合に出てた。でも、青木さんは(前年の)日本シリーズで負けたのも悔しかったんだろうし」と、改めて世界の青木の勝負への執念を思い知らされたことを隠さない羽川。

40年の月日が流れた今でも、忘れられない死闘。結果は苦いものとなったが、青木とこの戦いは、羽川にとって記憶の中にある最も鮮烈な記憶として残っている。(文・小川淳子)
 
 
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