ジャパンブランド復活元年 ヤマハは絶対、面白くなる
取材/文・金子信隆 写真・鈴木健夫
配信日時: 2021年7月1日 03時00分
ヤマハが生み出した”掟破り”のクラブたち
【1982】EX C-200
パーシモンヘッド全盛の時代にヤマハのゴルフクラブ第1号として世界初のカーボンコンポジットヘッドのドライバーを開発
【1992】EOS Ti-22
今では主流となった鍛造チタンヘッドをヤマハが世界に先駆けて発売。その後のドライバーヘッドのスタンダードをこの時代から開発していた
【1994】プロトフォージドTi
鍛造チタンヘッドの第2世代として、チタン素材による飛距離性能、鍛造製法による弾き感を実現。5万円台の価格でチタンヘッドの普及に貢献
楽器メーカーであるヤマハの個性を生かし、楽器の構造を応用した設計で打球音や打感のよさを追求。ランが出る弾道で飛距離を伸ばした
現在まで続くインプレスブランドが生まれた大ヒットモデル。顔、飛距離、打感のよさにこだわり、フルボディ鍛造によって0.863という高い反発係数を実現
先進的なヘッドとシャフトの最適マッチングを導入し、ヘッドとシャフトを別々に購入できるシステムを構築
アイアンの常識を覆す+2番手の飛距離を実現するアイアンとして大ヒット。ゴルフ業界に“飛び系アイアン”というジャンルを確立させた
最新モデルドライバーにはエネルギ ーロスを極限まで減らす「スピードボックス」、アイアンには反発エリアを拡大する「スピードリブフェース」を搭載
詳細はまだ何も明かされていない謎の“黒塗り”ドライバー。福田真未は「ヤマハ史上、一番いい」とまで断言していたが、果たして……
革新的なクラブこそがヤマハのアイデンティティ
振り返れば、「ヤマハ」は常に身近にあって、生活を彩っていた。
そんなこともあって、ヤマハがゴルフクラブも作っていることを初めて知ったときの印象はこう。
「信頼のブランド」
もちろん、それ自体は間違っていないが、裏を返せば、あまり尖がったものは作らない、どちらかというとお行儀のいい会社という先入観で見ていた気がする。音楽でいえばパンクやヒップホップではなく、フォークやニューミュージックのイメージ。
でも……、実像は全然違った。
ヤマハのゴルフクラブ開発史をひもとくと、いかに「世界初のもの」を作ることに全力を傾け、業界の常識からはみ出しまくってきたかが分かる。1982年、ゴルフクラブに参入したところから一貫して“掟破り”だ。それまでウッドといえば木製しかなかった時代に最先端素材のカーボン複合ヘッドを引っ提げて殴り込み。後追いするメーカーも現れ、新参者ながら業界の台風の目となった。
世界初は、まだ続く。92年には今では常識となったチタンを世界に先駆けて投入。鍛造チタンドライバーは世界で初めてといわれる。しかし、価格は22万円と庶民には高嶺の花だった。そうかと思えば、わずか2年後の94年にはチタンドライバーの価格を5万円台にまで一気に下げ、「何てことしてくれるんだ!」と、業界全体から不興を買う。2000年代に入ると高反発競争の仁義なき戦いに身を投じ、03年の〈インプレスV〉では反発係数0.863と、トップクラスの数値を叩き出した。記憶に新しいところでは14年の初代〈UD+2〉アイアンの発売により、「アイアンで飛ばしてどうするの?」というもっともらしい常識を一蹴した。
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写真のスイッチがたくさんついた機械はミキサーで比較的最近の製品だが、LSI(大規模集積回路)が電子楽器に必要となれば、それも自前で作った。半導体にも手を出す“やらまいか精神”恐るべし、というほかない